江戸城三十六見附を歩かない。3



22.半蔵門

警備対象エリアで近寄れないのでこれだけ。高麗門は太平洋戦争で焼失し、現在建ってる高麗門は和田倉門から移築したもの。

横山松三郎氏撮影の明治4年の古写真。渡櫓のこっちの面が格子状に見えるのは明治4年にすでに取り壊しが始まり、漆喰壁が剥がされた状態ということらしい。

近いアングルで、は警備車両が入っちゃうので無理だった。


23.外桜田門

渡櫓門を内側から。

枡形遠景。

古写真。

近いアングルで。


24.日比谷門

日比谷見附跡石垣。

日比谷門説明板。

心字池と石垣。この石垣は山下門まで続いていた。

古写真。


25.馬場先門

馬場先入口ではあるが、昔からこの広さだったかというと違うだろうなあ。

この石垣は門の遺構かな?

古写真。


26.和田倉門

大手門の外側にある和田倉橋。

標柱。

枡形を内側から。

古写真。

この石垣かな?


27.大手門

枡形。

高麗門。

櫓門。


28.平川門

鬼門の方角にあり、遺体はここから出したともいわれる。

渡櫓門。

高麗門。

古写真。

近いアングルで。


29.北桔橋門

遠景。

「はね」の字は「拮」なのか「桔」なのか問題。文献では「拮」になってることもあるが、千代田区が建てた標柱は北「桔」橋門って書いてるから現在はそういうことなんだろう。ちなみに建築用語に「桔木」(はねぎ)というのはあるが、「拮」に「はね」という訓読みは今はない。

正面から。

古写真。


30.西の丸大手門

皇居への入口(現在の呼称は「正門」)なので通常は閉まってる。櫓門は従来の位置よりちょっと手前(高麗門があった位置)に移築されているそうだ。高麗門は明治21年撤去。

西の丸大手門高麗門の古写真。


31.西の丸玄関門

西の丸玄関門。

二重橋古写真。

これは現在の正門鉄橋。今は二重ではない。


32.坂下門

ここも通常は閉まってる。

内側(一般参賀時に撮影)。

古写真。

別角度からの古写真。


33.内桜田門(=桔梗門)

桔梗門の呼称の由来は昔この門の瓦に太田道灌の家紋の桔梗がついていたからだそうだ。ちょっと斜めから。

櫓門内側から。

高麗門内側から。

高麗門外側から。

古写真。

近いアングルで。


34.下乗門

別名大手三の門。往時はこの手前に三の丸と二の丸を隔てる堀とそれを渡る橋があった。大名の登城ルートは大手門→下乗門→中ノ門→中雀門→本丸玄関。下乗門は2つ目だけど大手門に高麗門と渡櫓門があるので「三の門」。



渡櫓石垣。

石垣。

古写真。


35.中ノ門

これは2004年の写真。

修復工事完了。

新しい石が入った様子。

古写真。

別の古写真。

近いアングルで。


36.中雀門



別名書院門。この石垣には焼けた跡が。

反対側にも。

冠木門の古写真。左が書院出櫓(重箱櫓)、右が書院二重櫓。

渡櫓門の古写真。


ゴール。

休憩所にある寛永天守の復元模型。


以下「36」に入ってない門。蓮池門跡。礎石のみ。

古写真。


西桔橋門跡。

逆側から。門はなく、橋も架け直されたもの。


乾門。この門は明治期に作られたもの。西の丸裏門(紅葉山下門)の移築。


芝口御門跡。銀座8丁目に記念碑のみ存在。

説明板。1710(宝永7)年に朝鮮通信使を迎えるために建設され、1724(享保9)年焼失までの15年間しか存在しなかった。




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