赤木城 2009.12.20
所在地: |
三重県熊野市紀和町赤木 |
最寄駅: |
JR紀勢本線熊野市駅から車で40分 |
現存遺構: |
曲輪、石垣 |
区 分: |
山城 |
城 主: |
藤堂氏 |
歴 史: |
1589(天正17) | 藤堂高虎らが築城 |
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1989(平成元) | 国史跡指定 |
駐車場から見える石垣(東郭)。
説明板。「赤木城の築城年代については和歌山藩が編纂した『紀伊風土記』には寛文雑記を引いて天正年間、藤堂佐渡守(のち和泉守高虎)と、羽田長門守の両人が北山代官のとき築き、罪を犯した者を赤木城の西方の田平子峠で斬首し獄門にしたと記している、また熊野市神山の倉谷家文書には天正十六年(一五八八)大和大納言(豊臣秀長)の北山攻めの後築城したとある。藤堂佐渡守は天正十三年の紀州攻めの際北山入りし、文禄四年(一五九五)四国伊予三郡を与えられるまでの十一年間北山付近に在居し、この間二度の北山の陣で一揆方を成敗したり北山材の切り出しを行っているのでこの頃に現在の城郭に整備したものと考えられる。この城の特長は中世と近世の築城法を併用した平山城である南北一三〇メートルの尾根を中心として縄張りし、主郭、南の郭、西の郭を地割し主郭の東側下の犬走りは北の付曲輪とその下方約五〇メートルの堀切に通じている。また南の郭の下には付曲輪を残しその西側には自然の谷を空堀にし防禦に備えている。石垣は野面乱層積みで反がなく主郭の四隅は算木積みと横矢掛りをの工法を用いている。築城当時の原形を残した城跡は全国でも少なく貴重である。このため昭和五十七年四月田平子峠と共に、三重県史跡に指定され、平成元年十月九日には官報第二〇九号の告示によって国の史跡となった。」
鍛冶屋敷跡。
鍛冶屋敷跡の説明板。
鍛冶屋敷跡を上から。
東郭石垣。
東郭石垣。
東郭石垣。
門跡石垣。
東郭・門跡の説明板。
東郭。
主郭。
西郭。コの字に曲輪が配置。
主郭石垣。
土塁。
虎口石垣。
虎口説明板。
虎口は巨岩をくり抜いたような形。
虎口から主郭石垣。
主郭石垣。
主郭石垣。
主郭入り口。
石垣を上から。
主郭には「史跡 赤木城跡」の碑が。史跡指定は平成元年。
主郭・北郭の説明板。
崩れかけた石垣。
主郭から北の山地を望む。
その下には北郭(北の付曲輪)が。
主郭の周りを一周してみる。北面。
北西面。
西面。
南西櫓台。
西面を逆から。
西郭。
主郭。
主郭石垣南面。
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