備中高松城 2008.2.5



所在地: 岡山県岡山市高松
最寄駅: JR吉備線備中高松駅
現存遺構: 曲輪、築堤跡
区 分: 平城
城 主: 石川氏、清水氏、花房氏
歴 史: 1570(元亀元)三村氏の重臣・石川久弐が築城
1575(天正3)備中兵乱で三村氏が滅亡、毛利氏は清水宗治を高松城の守将に置く
1582(天正10)羽柴秀吉の水攻めにより開城、宗治は切腹
1600(慶長5)旗本・花房職之が入封
1610(慶長15)?花房氏が阿曽に移り廃城
1929(昭和4)国史跡に指定


JR吉備線備中高松駅から北に約500m、公園に高松城跡の案内板。

水攻め地図。

公園化はされているが遺構はほとんどないそうだ。

この堀も復元。

堀にゴイサギ。

飛んでった。

沼を隔てて本丸跡。

本丸にある清水宗治の辞世の句を彫った碑。

水攻め想像図。築堤で湖になった城を秀吉が上から見下ろす。この水攻めの最中に本能寺の変が起きて秀吉の「中国大返し」が始まることに。

清水宗治の首塚。

城跡から1kmほど離れた蛙が鼻にわずかに残る、水攻めの際に秀吉が築かせた築堤跡。

ここもきれいに公園化されている。

これが築堤跡。

ここから始まって城をぐるっと囲んだらしい。今は高さも2〜3mしかないが、最高地点で8mもあったらしい。ちなみに今はない部分(大部分)の築堤の土は吉備線(明治37年開業)建設の際の盛り土として再利用されたらしい。




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