大聖寺城 2005.9.19



所在地: 石川県加賀市地方町古城山
最寄駅: JR北陸本線大聖寺駅
別 名: 錦城
現存遺構: 曲輪、茶室
区 分: 平山城
城 主: 狩野氏、津葉氏、朝倉氏、戸次氏、佐久間氏、拝郷氏、溝口氏、山口氏、前田氏
歴 史: 鎌倉時代狩野氏が築城
1555(天文24)朝倉宗滴が加賀侵攻、大聖寺城を落とす
1567(永禄10)本庄の堀江景忠が朝倉義景に対し反乱、和議の際に大聖寺城は焼き払われる
1575(天正3)信長の加賀侵攻に伴い戸次広正が入城、修復
1576(天正4)柴田勝家の甥・佐久間盛政が城主に
1582(天正10)勝家の家臣・拝郷家嘉が入城
1583(天正11)秀吉が勝家を滅ぼし、秀吉の家臣・溝口秀勝が入城して城の修復・拡張を行う
1598(慶長3)秀勝が新発田転封、新たに領主となった小早川秀秋の家臣である山口宗永が入城
1600(慶長5)関ヶ原の戦いに際し前田利長が宗永を攻めて大聖寺城を制圧、利長は城代を置いて管理
1615(元和元)一国一城令により廃城、城跡は立入禁止に
1639(寛永16)金沢藩主・前田利常が隠居の際に三男・利治に7万石を分知し大聖寺藩立藩、ただし城は作らず山麓に陣屋のみ築く
1709(宝永6)大聖寺藩第3代藩主・前田利直が休息所として長流亭を築造


まずは旧大聖寺川のほとりにある長流亭に。設計は小堀遠州。

石垣が金沢城に似てるような。

中の見学は予約要、ということで外見のみ。

大聖寺川に架かる橋の上から。

対岸から。

江沼神社側から。

錦城小と加賀聖城高の間の道を行くと錦城山登山口。案内図。

大聖寺城跡の説明板。

二の丸跡。

二の丸と本丸の間にある馬洗池。

坂の上から。

本丸跡。

逆側から。

ちょっと空堀っぽい。

西丸跡。

鐘ヶ丸跡。

東丸跡。

大聖寺藩の贋金作り「パトロン事件」の舞台となった洞穴。




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