江戸城 2003.6.21



所在地: 東京都千代田区千代田
最寄駅: JR東京駅、東京地下鉄千代田線大手町駅・二重橋駅、東西線竹橋駅
別 名: 千代田城、東京城
現存遺構: 伏見櫓、巽櫓、富士見多聞、西の丸大手門、桔梗門、田安門、清水門、桜田門、平川門、北拮橋門、同心番所、百人番所、大番所、曲輪、石垣、堀、土塁
再建建物: 富士見櫓、大手門
区 分: 平山城
城 主: 太田氏、上杉氏、北条氏、徳川氏
歴 史: 1457(長禄元)太田道灌により築城
1524(大永4)北条氏綱が扇谷上杉朝興から江戸城を奪取、以後支城として城代を置く
1590(天正18) 徳川家康入城
1592(文禄元)西の丸を築く
1606(慶長11) 本丸、二の丸、三の丸、外曲輪構築
1607(慶長12)慶長天守完成、北の丸を築く
1611(慶長16)西の丸拡張
1623(元和9)元和天守完成
1624(寛永元)西の丸御殿改築、隠居の秀忠が入居
1629(寛永6)江戸城大修築開始
1634(寛永11)西の丸御殿焼失
1636(寛永13) 江戸城大修築竣工
1637(寛永14)天守台改造、本丸御殿完成
1639(寛永16)本丸御殿焼失(翌年再建)
1657(明暦3)明暦の大火で天守、本丸、二の丸、三の丸まで焼失
1658(万治元)天守台が再建されるが天守は以降再建されず
1659(万治2)本丸御殿・富士見櫓再建
1747(延享4)二の丸御殿焼失(6年後再建)
1838(天保9)西の丸御殿焼失(翌年再建)
1844(弘化元)本丸御殿全焼(翌年再建)
1852(嘉永5)西の丸御殿全焼、再建
1859(安政6)本丸御殿全焼(翌年再建)
1863(文久3)西の丸、本丸御殿全焼(西の丸は翌年再建されるが本丸は再建されず)
1867(慶応3)二の丸御殿全焼
1868(慶応4)江戸城無血開城、明治天皇が入城し東京城と改名
1873(明治6)皇居として使用していた西の丸御殿焼失、青山御所を仮皇居に
1888(明治21)西の丸に明治宮殿完成
1923(大正12)関東大震災で富士見櫓など倒壊(富士見櫓はのち再建)
1945(昭和20) 空襲で大手門焼失
1961(昭和36) 田安門、清水門、桜田門が国の重要文化財に指定
1963(昭和38) 国特別史跡に指定
1967(昭和42) 大手門再建


今回は和田倉門から南に向かってGO。しかし時間が夕方だったので東京駅からスタートすると見事に逆光。これは二の丸巽櫓。

桔梗門。

皇居外苑から皇居方向。

後光(?)の射す二重橋。有名な二重橋だが、今は全然「二重」ではない。元は西の丸御書院門のところ(今の二重橋よりも奥)に、塁壁が高すぎるため橋脚が届かず石垣の途中にひとつ橋を架け、その橋桁の上にもうひとつ橋を乗せた「二重橋」があったらしい。

二重橋の奥にある西の丸伏見櫓。

西の丸大手門。

これが桜田門。重要文化財。

桜田門脇の土塁裏には雁木。

桜田門を内側から。

これは桜田外門。

逆光の内堀。

桜田門枡形遠景。

江戸城の特徴として内堀に面した部分は高い土塁の上に石垣を組んでいる(鉢巻石垣)ということがある。

三宅坂から土塁と(低い)石垣を眺める。

半蔵門。ここの土橋で一旦内堀が締め切られる。半蔵門から入ったところが吹上御所。もとは御三家の屋敷があったが明暦の大火後は庭園になったという。ちなみに今ある高麗門は西の丸の吹上門を移築したものらしい。

そこより北は半蔵堀と呼ばれる堀。土塁部分が内堀より低い。

桜で有名な千鳥ヶ淵の上部の石垣。

田安門に到着。これは外門(高麗門)。1636(寛永13)年再建の重要文化財。

田安門。

飯田橋駅西口近くにある石垣。牛込門の遺構と言われる。




関東の一覧へ