府中陣屋 2009.05.26



所在地: 茨城県石岡市総社1丁目
最寄駅: JR常磐線石岡駅
別 名: 府中城
現存遺構: 陣屋門
区 分: 陣屋
城 主: 大掾氏、佐竹氏(府中城)、松平氏(府中陣屋)
歴 史: 1346-70(正平年間)大掾詮国が府中城を築城
1590(天正18)大掾清幹が佐竹義宣に攻められて落城、義宣の叔父・義尚が城主となる
1602(慶長7)佐竹氏が秋田に移封、六郷政乗が入封
1623(元和9)政乗が出羽本荘に移封、皆川広照が入封
1645(正保2)広照の孫・成郷が無嗣のため廃絶、石岡は天領に
1700(元禄13)初代水戸藩主徳川頼房の五男・松平頼隆が藩主となり常陸府中藩再立藩、陣屋を築く
1828(文政11)9代頼縄が江戸小石川に藩邸を再建した際の余った材木で陣屋門を建てる
1869(明治2)陣屋門を除き全ての建物が破却


市民会館前に「石岡の陣屋門跡」の碑。しかしそこには陣屋門は見当たらない。ここは「元あった場所」ということらしい。

ちょっと左から入った石岡小学校正門内に陣屋門。

説明板。「石岡の陣屋門は、文政十一年(一八二八)二月に建てられた。元禄十三年(一七〇〇)初代水戸藩主徳川頼房の五男松平頼隆が府中藩主となり、以降明治維新に至る約一七〇年の間、石岡地方は府中松平藩の支配下にあった。府中松平氏は水戸徳川家の分家として『御連枝』と呼ばれた。江戸時代に代官その他の役人が在任した屋敷や役宅は一般に陣屋あるいは、陣屋敷と呼ばれていた。石岡の陣屋門は、本柱の上に妻破風造りの屋根がつき、本柱の控柱の上にも、本屋根と直交してそれぞれ別棟の小屋根を付け、扉と控柱とを覆っている高麗門の形式である。この門は、冠木と棟木間が土壁で閉ざされている高麗門に比べ、冠木が本柱を貫き通し、また冠木と棟木間に格子を組み入れる等の手法を見せている。」

陣屋門UP。実際は府中藩主の松平家は江戸に在府していた。

裏側。

石岡小学校と市民会館の間には土塁が。府中城の遺構か?

さらに石岡小学校の裏手にも土塁が見られるが私有地で立入禁止。こちらが大掾氏の築いた府中城の二の丸、本丸跡のようだ。




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