府内城 2006.12.4



所在地: 大分県大分市荷揚町
最寄駅: JR日豊本線大分駅
別 名: 荷揚城、大分城、白雉城
現存遺構: 人質櫓、宗門櫓、石垣、土塀、堀
再建建物: 東の丸着到櫓・二重櫓、西の丸二重櫓、大手門、廊下橋
区 分: 平城
城 主: 福原氏、早川氏、竹中氏、日根野氏、稲葉氏、松平氏
歴 史: 1597(慶長2)石田三成の妹婿・福原直高がこの地に築城開始(完成せず)
1599(慶長4)秀吉の死後直高が家康により改易、早川長政入封
1600(慶長5)長政が関ヶ原の合戦で西軍に属し自刃
1601(慶長6)竹中重利が入封、築城再開
1602(慶長7)4層の天守完成
1634(寛永11)重利の子・重義が切腹を命じられ、日根野吉明入封
1656(明暦2)日根野氏無嗣廃絶、臼杵藩主稲葉信通が城代に
1658(万治元)松平(大給)忠昭が入封、以降明治まで松平氏の居城
1743(寛保3)天守など焼失、以後天守再建されず
1872(明治5)廃城、廃藩置県に伴い県庁が置かれる
1945(昭和20)空襲により櫓焼失
1966(昭和41)本丸跡に文化会館建設、櫓3つと大手門を復元
1996(平成8)廊下橋復元


西の丸二重櫓。

縦で。

真横から。

二の丸宗門櫓(平櫓)。これと人質櫓は現存だという説と、5つ全部コンクリートによる再建だという説があるがどっちが本当だろうか?中に入れないのでわからない。

大手門。

東の丸石垣。

本丸北二重櫓跡石垣。

別角度から。

大友宗麟像。この城には直接関係はない。

天守台。

東の丸二重櫓。

真横から。

東の丸二重櫓。

東の丸着到櫓。

人質櫓。

天守台。

廊下門。

廊下門入口。

廊下門内部。

冠木門跡石垣。




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