二俣城 2008.12.7



所在地: 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
最寄駅: 天竜浜名湖鉄道二俣本町駅
別 名: 蜷原城
現存遺構: 曲輪、石垣、土塁
区 分: 平山城
城 主: 松井氏、鵜殿氏、青木氏、中根氏、三浦氏、小原氏、小山田氏、依田氏、大久保氏、酒井氏、堀尾氏
歴 史: 1560(永禄3)松井宗恒が築城、笹岡城(二俣古城)より移る
1568(永禄11)徳川家康が城を攻め落とし、鵜殿氏長が城番として入る
1572(元亀3)武田信玄が城を落とし、青木又四郎、中根正照、三浦右馬助、小原宮内丞、小山田六左衛門が城番として入る
1574(天正2)武田軍撤退、依田信蕃が守備隊として残る
1575(天正3)信蕃降伏、家康が城を奪回し大久保忠世が入る
1579(天正7)徳川家康の嫡子・信康がこの地で切腹
1584(天正12)忠世出陣につき酒井重忠が入る
1590(天正18)忠世が家康の関東入部に伴い小田原に、堀尾吉晴が浜松城に入り二俣城はその支城に
1600(慶長5)吉晴が出雲転封、廃城


堤防側からの登城口は堤防工事のため立入禁止になっていた。

なので車道から登る。公園の「園」の字が取れて入口の「口」に引っかかっていた。

食い違い虎口の紅葉。

食い違い虎口を内側から。

天守台。

本丸土塁。

縄張図。

本丸の紅葉。

石垣跡。

天守台。

天守台。

天竜市が浜松市と合併後に新しくできた二俣城址の標柱。

天守台。

天守台上から。

本丸二之門石垣。

同じく。

二之曲輪。

二之曲輪土塁。

二之曲輪の櫓台。

二之曲輪虎口石垣。

崩れてはいるがこれも二之曲輪虎口石垣。

下から二之曲輪虎口石垣。

縦で。

工事中の看板。四阿(水の手曲輪)までは行けるということだが、今回は行かず。

蔵屋敷前にあった比較的新しげな「マムシに注意」の看板。季節的にはもういない頃だが、蔵屋敷はすっかり薮化していたので行かず。

北曲輪。現在は旭ヶ丘神社。

入口の標柱。

案内図。

鹿島橋から二俣城遠景。




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