原城 2008.5.1その2
本丸北面の石垣跡。
本丸西面。
本丸から出丸。
本丸から有明海。
下から櫓台。
櫓台。
左が鳩山出丸、右が本丸。
石垣跡。
石垣跡。
石垣跡。
案内板には「城壁跡」と。
門跡?
石垣跡。
石垣跡。
石垣跡。
石垣跡。
石垣跡。
池尻口門跡。
門跡。
門跡。
「この虎口(出入口)は、島原の乱後幕府の現地処理による徹底的な破壊により、石垣の築石やグリ石などで埋め尽くされ、さらに土を被せて隠されていました。
発掘調査で検出し、開口部は東西に開き約6m、奥行は南北に約12mで5段の階段を有する虎口であることがわかりました。
階段の平場部分に門柱の礎石があり、建築物としての門があったことがうかがえます。
この虎口は、本丸の裏門にあたり「池尻口」と明記してある絵図もあります。」
上から。
天草四郎時貞の墓碑。
佐分利九之丞の碑。説明板によると「佐分利九之丞は、因幡藩(鳥取県)池田候の家臣で、島原の乱の時慰問使として左遣された人であります。
寛永15年(1638年)2月27日、幕府軍の総攻撃にあたり、九之丞は細川軍の先陣を承って進撃したが、本丸において遂に倒れました。
彼は刀を採り、傍らにあった自然石に己の姓名と年月を堀込んだものと伝えられその自然石がそのまま彼の墓碑となっています。」と。
本丸の十字架。
天草四郎時貞の石像。
本丸の原城跡の碑。
雁木。
これも虎口跡?(発掘中)
石垣跡。
二の丸を下から。
海岸から本丸。
バス停前のパネル。桜の季節にはたしかに桜が咲き誇るようだが、こんな立派な石垣は残ってないよ・・・。
とはいえ、廃城後に石材を島原城に使われたとか一揆後に徹底的に破城になったと聞いていた割には石垣跡が結構残っていたので驚いた。そして何より広い。見ごたえ十分。
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