飯田城 2005.6.11



所在地: 長野県飯田市追手町
最寄駅: JR飯田線飯田駅
別 名: 長姫城、三本杉長姫城
現存遺構: 桜丸御門、石垣、空堀、二の丸御門(移築)
区 分: 平山城
城 主: 坂西氏、武田氏、菅沼氏、毛利氏、京極氏、小笠原氏、脇坂氏、堀氏
歴 史: 1211〜1218
(建保年間)
坂西長由が築城
1554(天文23)武田氏の支配下となり秋山信友が改築
1582(天正9)武田氏滅亡後徳川氏の家臣・菅沼氏が入城
1590(天正17)小田原の役の功により毛利秀頼に飯田の地が与えられる
1593(文禄2)秀頼死去、娘婿の京極高知が入封し近世城郭に改築
1600(慶長5)関ヶ原の合戦の功により高知が宮津転封
1601(慶長6)小笠原秀政入封
1613(慶長18)秀政が松本転封、飯田藩は廃藩となり天領に
1617(元和3)大洲より脇坂安元入封、飯田藩再興
1672(寛文12)安元の養子・安政が龍野転封、代わって堀親昌入封、以降版籍奉還まで堀氏の居城
1872(明治5)廃城


飯田駅の南側にある飯田城外堀跡。

飯田最古の道標とか。

桜丸御門。通称赤門。図書館の脇にある。

裏側から。

再度表から。桜丸は三の丸にあたる。

二の丸(美術博物館)の手前を降りる道の途中にある水の手御門跡石垣。上には現在民家が載っている。

その近くの駐車場の石垣。遺構という説明はないが。

本丸の長姫神社にある説明文。これによると本丸の遺構は空堀、神社裏の石積土塁程度らしい。

これが神社裏の石積土塁。

本丸(柳田館)と二の丸(美術博物館)の間の空堀。他にも美術博物館の敷地内に水路跡などが復元されている。

北側の江戸浜町にある旧柳田家門。飯田城は川に突き出した岬のような細長い丘の突端に建っており、武家屋敷に来るには坂を上り下りしなければならない。

江戸町・旧黒須家門。

飯田駅から豊橋方面に4駅、伊那八幡駅近くの木下家に移築されている二の丸御門(八間門)。木下家は藩主の主治医だったとか。

正面から。

接近。

遠景。




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