今治城 2003.5.30



所在地: 愛媛県今治市通町3丁目
最寄駅: JR予讃線今治駅
別 名: 吹上城、吹揚城、今張城
現存遺構: 曲輪、石垣、堀
再建建物: 模擬天守、武具櫓、山里櫓、御金櫓
区 分: 平城
城 主: 藤堂氏、松平氏
歴 史: 1602(慶長7)藤堂高虎が築城開始、2年後完成(縄張は重臣の渡辺勘兵衛)
1608(慶長13)高虎が津に転封、養子の高吉が城代に
1610(慶長15)天守が解体され丹波亀山に移築
1635(寛永12)高吉が名張転封、松平(久松)定房入封
1869(明治2)廃城令より前に城郭破却、樹木伐採開始
1873(明治6)廃城
1980(昭和55)天守・武具櫓を再建
1985(昭和60)御金櫓再建
1990(平成2)山里櫓再建


今治駅から北東に歩いて20分、住宅街に突然大きな堀と白亜の天守が姿を現す。ちなみに今治駅を降りると駅の南側にも城らしきものが見えるが、これは隣の波方町の海山城展望台というものらしい。

1980(昭和55)年に市制60周年記念事業として再建された模擬天守と多聞櫓。1610(慶長15)年に天守が解体された後は二の丸に屋敷があったのみで天守は建てられなかった。「宗国史」の記述にあるわずか8年のみ存在した天守を再現(移築先の丹波亀山城を参考)した、とされているが意匠的には本当にこのような天守があったかどうかは?らしい。

手前の二階櫓は1990(平成2)年に市制70周年記念事業で再建された山里櫓。これは明治の頃の写真が残っており、ほぼそのままの形の復原と言えるようだ。中には入らなかった(美術館らしいので)ので構造は不明だが。

きれいな天守ではある。

UPで。

山里櫓から二の丸に入る。

こちらは武具櫓。天守と同時に再建。

二の丸から見た天守。

野石をそのまま積んだような石垣だが、これらは往時のままなのだろうか?

いわくのありそうな井戸。

御金櫓。天守の5年後、1985(昭和60)年に再建。

本丸にはいろんな神社を合祀している吹揚神社が。1872(明治5)年、城が破壊された後からあるそうだが、この神社の社務所(民家っぽい)とか建物が城の美観を損ねてたりする。

一応中に入ってみる。中は当然博物館。古図面や櫓の明治期の写真等があったが撮影は不可。

6階展望台から武具櫓(北)方向。築城時から三重の堀を巡らせ、海水を引き込んでいたというが確かに海がすぐそば。

来島大橋も見える。

雲行きが怪しくなってきた(5月というのに台風接近中)。

堀の外から山里櫓。

山里櫓と天守。模擬天守だとあっさり目。




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