岩槻城 2005.2.4



所在地: 埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目
最寄駅: 東武野田線岩槻駅
別 名: 白鶴城、岩付城
現存遺構: 黒門、裏門(伝)
区 分: 平城(水城)
城 主: 太田氏、北条氏、高力氏、青山氏、阿部氏、板倉氏、戸田氏、松平氏、小笠原氏、永井氏、大岡氏
歴 史: 1457(長禄元)太田道灌が築城
1586(天正14)太田(北条)氏房により城域拡大
1590(天正18)小田原の役の際本多忠勝らに攻められ落城、徳川家康の関東入府に合わせて高力清長が入城
1609(慶長14)火災により城の大部分が焼失、その後三の丸のみを復興
1619(元和5)清長の孫・忠房が浜松に転封、岩槻は天領に
1620(元和6)老中の青山忠俊が入封、岩槻藩再興
1623(元和9)忠俊が老中罷免となり大多喜に減移封、阿部正次が小田原より転封
1681(天和元)阿部氏5代正邦が宮津に転封、板倉重種が入封
1682(天和2)重種失脚し信濃国坂木に移封、戸田忠昌が入封
1686(貞享3)忠昌佐倉へ転封、松平(藤井)忠周が入封
1697(元禄9)忠周出石に移封、小笠原長重が入封
1711(正徳元)長重の子・長煕が掛川転封、永井直敬が入封
1756(宝暦6)永井氏3代(直敬の子)直陳が加納転封、若年寄の大岡忠光入封、以降明治まで大岡氏の居城
1872(明治5)廃城、民間に払い下げ


大手口。ここからさらに歩く。東武野田線の岩槻駅からは2km弱?

移築された裏門(伝)。

黒門。本丸の門(一説には大手門)で、明治以後は知事公舎の正門として使用されていたが1970(昭和45)年に岩槻公園に移築された。

縄張図。現在岩槻城址公園として保存されているのは岩槻城のごく一部。本丸は消防署の辺りだったかな?しかし本丸・二の丸は江戸時代から空き地だった。

公園に残された池とそこに架かる橋。

橋。遺構はほとんどなし。




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