掛川城 2003.6.7



所在地: 静岡県掛川市掛川
最寄駅: JR東海道新幹線・東海道本線掛川駅
別 名: 雲霧城
現存遺構: 二の丸御殿、太鼓櫓(移築)、大手門番所、石垣、堀
再建建物: 天守、天守下門、大手門、四つ足門
区 分: 平山城
城 主: 朝比奈氏、石川氏、山内氏、松平氏、安藤氏、朝倉氏、青山氏、本多氏、北条氏、井伊氏、小笠原氏、太田氏
歴 史: 1470(文明初年)頃 今川義忠の命により朝比奈泰煕が築城
1568(永禄11)徳川家康の手により落城、石川家成が城代に
1590(天正18)家成の子・康通が家康に付いて上総成東に移り、山内一豊が入り近世城郭に改築
1600(慶長5)関ヶ原の戦の功により一豊が土佐転封
1601(慶長6)家康の異父弟・松平(久松)定勝が入封
1604(慶長9)地震により天守破損
1617(元和3)定勝の子・定行が桑名転封、代わって徳川頼宣の付家老・安藤直次が入城
1619(元和5)直次が頼宣に付いて紀伊田辺に転封、松平(久松)定綱が入封
1621(元和7)三重三階の天守再建
1623(元和9)定綱が淀に転封、中泉代官・中野重吉の預かりに
1623(元和9)駿河藩主徳川忠長の付家老・朝倉宣正が入城
1632(寛永9)宣正が忠長に連座して改易、中泉代官・高室昌重の預かりに
1633(寛永10)青山幸成が入封
1635(寛永12)幸成尼崎転封、松平(櫻井)忠重が入封
1639(寛永16)忠重の子・忠倶が飯山転封、本多忠義(忠勝の孫)入封
1644(正保元)忠義が村上転封、松平(藤井)忠晴入封
1648(慶安元)忠晴が丹波亀山転封、北条氏重入封
1658(万治元)氏重死去、北条氏無嗣廃絶のため横須賀城主・本多利長が城番に
1659(万治2)西尾から井伊直好入封
1705(宝永2)直好の孫・直朝が発狂、井伊直矩が本家から養子に入るが与板藩に移封
1706(宝永3)松平(櫻井)忠喬入封
1711(正徳元)忠喬が尼崎転封、小笠原長煕入封
1746(延享3)長煕の孫・長恭が棚倉移封、太田資俊入封、以降明治まで太田氏の居城
1854(嘉永7)大地震により天守など大半が損壊、天守はその後再建されず
1861(文久元)二の丸御殿再建
1869(明治2)徳川家達の領となり、太田氏は上総芝山に
1871(明治4)廃城
1980(昭和55)二の丸御殿が国の重要文化財に指定
1994(平成6)天守再建
1995(平成7)大手門再建


掛川駅から5〜6分、北にまっすぐ歩くとみどり橋のところから天守が見える。

復元された四つ足門を通って入場。

確かに高知城に似ている。

ちょっと引いて。

発掘された十露盤(そろばん)堀。

これは何門だったかな?

三の丸にあったらしい太鼓櫓(現存)。

本丸と天守。

登城口の坂を上る。

坂の中腹から太鼓櫓。

本丸跡は別に何もない。

天守下門。

天守を囲む腰曲輪。

ようやく到達。

重要文化財の二の丸御殿を見下ろす。

1994(平成6)年に木造で復元された天守。

霧吹き井戸。

だんだん天気が良くなってきた。

木造。

床と石垣をわざとずらして「石落とし」が設けてある。

二階。一階に比べるとかなり狭くなっている。

三階(実質四階)の望楼。さらに狭い。

石落としを外から。

天守を見上げる。

角度変えて。中央の破風は「軒唐破風」と呼ばれるものらしい。

またまた太鼓櫓。

門を出たところから天守。




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