亀岡城 2007.4.8



所在地: 京都府亀岡市荒塚町
最寄駅: JR嵯峨野線亀岡駅
別 名: 亀山城、丹波亀山城、亀宝城、霞城
現存遺構: 石垣、堀
区 分: 平山城
城 主: 明智氏、織田氏、小早川氏、前田氏、岡部氏、松平氏、菅沼氏、久世氏、井上氏、青山氏
歴 史: 1578(天正6)明智光秀が亀山城を築城
1582(天正10)光秀が山崎の戦に破れ、亀山城は織田秀勝に与えられる
1591(天正19)小早川秀秋入城、天守を三層から五層に改築
1595(文禄4)前田玄以が入城
1600(慶長5)玄以の所領が安堵され丹波亀山藩立藩
1602(慶長7)玄以死去、子の茂勝は丹波八上藩に移封、亀山は天領に
1609(慶長14)岡部長盛入封、翌年から天下普請で修築(今治城天守を移築と言われる)
1615(元和元)長盛が福知山に転封
1621(元和7)松平(大給)成重が入封
1634(寛永11)松平家2代忠昭が豊後亀川に転封、菅沼定芳が入封
1648(慶安元)菅沼家2代定昭が無嗣のため改易、松平(藤井)忠晴が入封
1685(貞享2)松平家3代忠周が岩槻転封、久世重之が入封
1697(元禄10)重之が三河吉田に転封、井上正岑が入封
1702(元禄15)正岑下館に転封、青山忠重が入封
1749(寛延2)青山家3代忠朝が篠山に転封、松平(形原)信岑が入城、以降明治まで松平氏8代の居城
1870(明治3)伊勢亀山との混同を避けるため亀岡藩と改める
1873(明治6)廃城、建物の一部払い下げ
1877(明治10)天守等取り壊し
1920(大正8)大本教の出口王仁三郎が城跡を買い取り第二の聖地に
1935(昭和10)第二次大本事件、内務省の手により大本の施設徹底破壊


JR嵯峨野線・亀岡駅から歩いて3分ほど、堀の跡を生かした南郷池の畔の南郷公園に鯱のモニュメントが。

同じく南郷公園の亀山城址(地元ではこの呼び方のよう)の碑。

桜満開の南郷池。

南郷池と桜。

南郷池。ぱっと見川には見えないが、雑水川(ぞうずがわ)の一部でもある。

大本教本部に向かう道の石垣。

亀山城址は現在大本教の聖地「天恩郷」となっている。

内堀跡の万祥池。

石垣。大部分が大本事件後に信徒によって積み直されたものだそうだ。

しかし石には天下普請の痕跡あり。

石垣。

注意書き。亀山城址を見学する場合は事務所でその旨を告げ、万祥殿で御祓いを受ける必要がある、と。「御祓い」は数秒で終わるし、料金も取られることはない。

石垣。

本丸。

本丸に続く石段。

本丸は聖域なので立入禁止。なにぶんにも私有地なので近づけるだけでもよしとせねば。

本丸石垣。

本丸石垣。

縦で。

ツツジ。

本丸石垣。

空堀。現在は梅林。

スミレ。

本丸石垣。

本丸石垣の角。

石垣跡?

腰巻石垣。

土塁。

南郷池に面した角の石垣。

亀岡市千代川の千代川小学校(JR山陰本線千代川駅から直線350m)に移築されている亀岡城の新御殿門。唯一の建造物遺構。

角度変えて。

出窓が特徴的。




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