亀山城 2003.11.23



所在地: 三重県亀山市本丸町
最寄駅: JR関西本線亀山駅
別 名: 粉蝶(つちへん説あり)城、伊勢亀山城
現存遺構: 石垣、多聞櫓
区 分: 平山城
城 主: 関氏、岡本氏、松平氏、三宅氏、本多氏、石川氏、板倉氏
歴 史: 1265(文永2)関実忠が築城
1590(天正18)関一政が白河転封、岡本宗憲が入封、古城を廃し新たに三層の天守を持つ新城を築く
1590(天正18)宗憲が関ヶ原の戦いで西軍に与し自刃、関一政が亀山に戻る
1600(慶長5)一政が伯耆黒沢藩に転封、松平(奥平)忠明入封
1615(慶長2)忠明大坂に転封、廃藩で津藩領に
1620(元和6)三宅康信が入封、亀山藩再興
1632(寛永9)幕府の命令により誤って天守解体
1636(寛永13)三宅家2代康盛が挙母に戻され、代わって入った本多俊次が三重櫓築造、西出丸新造
1644-47
(正保年間)
多聞櫓築造
1651(慶安4)俊次が膳所に転封、石川憲之入封
1669(寛文9)憲之が淀に転封、板倉重常入封
1710(宝永7)板倉家3代重治が鳥羽に転封、松平(大給)乗邑入封
1711(正徳元)この頃までに本丸御殿取り壊し
1717(享保2)乗邑が淀に転封、板倉重治が再度入封
1744(延享元)板倉家2代勝澄が備中松山転封、石川総慶(憲之の曾孫)入封、以降明治まで石川氏の居城
1873(明治6)廃城令により廃城、破却


東海道五十三次の一つ、亀山宿。ここも城下町かつ宿場町だったわけだ。

駅から坂を歩いていくと唐突に現存の多聞櫓が見える。

池端の石坂門跡には「石井兄弟敵討の碑」なるものが建っていた。

多聞櫓。江戸後期に建て替えられたものらしいが、下見板が張られたのは明治以降のこととか。

天守台に後から建てられたものらしい。見たときの違和感はそこに由来するものか?

隣の亀山西小学校は発掘調査中。二ノ丸御殿跡とのこと。

多聞櫓。

立派な天守が乗っていたと思われる天守台の石垣。

裏に回る。

朝日。

下を覗き込む。なかなか高い。

ちょっと離れて。

紅葉。

紅葉。

正確には亀山城の遺構ではないが、亀山城の鎮守として建てられた南崎権現社の神官・大久保但馬守邸宅の門。1625(文永2)頃の築?

楠門跡の案内柱。

再び天守台。典型的な牛蒡積み。

さらに多聞櫓。

多聞櫓。

遍照寺本堂。二ノ丸御殿の式台の移築(1871=明治4年)らしい。

この門も城っぽいが違うのかな?




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