金沢城 2010.6.27その2
玉泉院丸は現在発掘調査中だが一部は見学可能。
見学コース拡大。
玉泉院丸の来歴。「玉泉院丸は、古くは『西ノ丸』と呼ばれ重臣屋敷でした。慶長19年(1614)二代藩主前田利長が高岡で没した後、剃髪して金沢に戻った妻の玉泉院(永姫)の屋敷が造営されたため、玉泉院丸と称することになりました。元和9年(11623)玉泉院没後は空地となっていましたが、寛永11年(1634)V代藩主利常が京から庭師を招いて、各地から庭木や石を取り寄せ、大規模な庭園を造りました。漢文元年(1661)、元禄元年(1688)には五代藩主綱紀も修築の手を加え、園内の再整備が進みました。明治以降は、軍施設の整備と共に池が埋め立てられ、近年まで県体育館の敷地になっていました。」
玉泉院丸の石垣。
玉泉院丸全景。
玉泉院丸の入口であった鼠多門。
この門がそうかと思ったらどうも違うようだ。
表から。現在は通行禁止。
玉泉院丸の石垣。
「坪野石」という黒い名石が使われているらしい。
これか。
玉泉院丸外周の石垣。
外から見るとこんな感じ。
別角度。
外に出ていもり堀石垣。「いもり堀の北西部に位置するこの石垣は、石の正面を部分的に均して刻印を施す石加工に特徴が利、初期の粗い加工石を積んだ石垣の一つです。この石垣は、いもり堀の堀底から積み上げられていますが、この両側には、土手の一部に石垣を巡らす『鉢巻き石垣』が続いています。」
玉泉院丸南西の石垣。孕みが進んだため平成18-19年度に改修工事済み。
玉泉院丸南西の石垣。
鉢巻き石垣。下の方にも石が見えるが河原の玉石が埋め込まれているだけで石垣ではない。
これが鼠多門跡。奥まった部分が木橋の袂で、上段は明治期にふさがれたらしい。
鼠多門跡と鉢巻き石垣。
玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣。「玉泉院丸の北西隅に位置する櫓台石垣で、絵図では堀底から高さ五間三尺五寸(約10m)と記されています。文化7年(1810)の修築を担当した石垣技術者の後藤小十郎による指図が残っており、石垣勾配の設計法を知ることができる石垣です。比較的丸みのある石を多用することから『鶴目積』の石垣とも呼ばれました。」
これか?>鶴目
玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣。
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