| 所在地: | 栃木県那須烏山市城山 | |
| 最寄駅: | JR烏山線烏山駅 | |
| 別 名: | 臥牛城、伏手城、寿亀城、八高山城 | |
| 現存遺構: | 曲輪、石垣、土塁、空堀 | |
| 区 分: | 山城 | |
| 城 主: | 那須氏、織田氏、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏、永井氏、稲垣氏、大久保氏 | |
| 歴 史: | 1417(応永25) | 那須与一の子孫・沢村五郎資重が築城 |
| 1590(天正18) | 那須氏が小田原に参陣しなかったため所領没収、2ヶ月のみ織田信雄が城主に | |
| 1591(天正19) | 成田氏長が忍より入封 | |
| 1623(元和9) | 成田氏がお家騒動で改易、松下重綱入封 | |
| 1627(寛永4) | 重綱が二本松転封、堀親良が入封 | |
| 1659(万治2) | 親良の子・親昌が山麓に三の丸居館を築く | |
| 1672(寛文12) | 親昌が飯田に転封、板倉重矩入封 | |
| 1681(延宝9) | 重矩の子・重種が岩槻転封、那須氏の子孫・資弥が旧領復帰 | |
| 1687(貞享4) | 那須氏がお家騒動で改易、永井直敬入封 | |
| 1702(元禄15) | 直敬が赤穂転封、稲垣重富入封 | |
| 1725(享保10) | 重富の子・昭賢が鳥羽転封、大久保常春が入封、以降明治まで大久保氏の居城 | |
| 1871(明治4) | 廃城 | |
| 1873(明治6) | 大雪で三の丸居館が倒壊、山上の本丸も同年焼失 | |
烏山城には何本か登城道があるようだが、今回はこの八雲神社から登る。
毘沙門山の中腹に彰徳碑。戦没者の慰霊碑という話。
毘沙門山を登り切ると展望台。往時にも物見台があったのだろうか?
この展望台から一旦降りて堀切を越えると烏山城らしい。
と思ったらもう一山(送電塔がある)越し、長く急な下り坂に。帰りはこれを登るのか・・・。写真は送電塔の脇に咲いていたオカトラノオ。
この堀切辺りから城域か?
堀切。目の前の高台を直登するか堀に作られた歩道を行くか。
結果、直登しても道はなく、歩道の先に道標が。ここから右に降りると七曲りを経て三の丸に行けるらしい。
車橋跡。1995(平成6)年刊の「日本の名城」関東編には「本丸と古本丸の間に車橋」という記述があるが場所が違う。ちなみに本丸と古本丸の間にも橋はない。
側の石は橋台跡?
堀切なんだけど籔になっててよくわからん。
蜘蛛の巣を払いながら山道を登るとようやく石垣が。近世二の丸跡。
石垣。
上から。
近世二の丸(常盤曲輪)の入口・吹貫門跡。
案内図。
説明。
右に行くと塩倉跡。さらに行くと厩屋跡。今回はそちらへは向かわず本丸へ。
正門跡。かすかに石垣跡が見える。
石UP。
回り込むと石垣の形を残しているのが見える。
石UP。
土塁に一部石垣。曲輪の内側なので土留めか?
本丸脇の巨大な空堀。
空堀。
二の丸跡。
堀切を渡る。
右。
左。
さらに進むが籔化が激しい。これ以上行くのも無理そうなのでここで撤退。