烏山城 2008.7.12



所在地: 栃木県那須烏山市城山
最寄駅: JR烏山線烏山駅
別 名: 臥牛城、伏手城、寿亀城、八高山城
現存遺構: 曲輪、石垣、土塁、空堀
区 分: 山城
城 主: 那須氏、織田氏、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏、永井氏、稲垣氏、大久保氏
歴 史: 1417(応永25)那須与一の子孫・沢村五郎資重が築城
1590(天正18)那須氏が小田原に参陣しなかったため所領没収、2ヶ月のみ織田信雄が城主に
1591(天正19)成田氏長が忍より入封
1623(元和9)成田氏がお家騒動で改易、松下重綱入封
1627(寛永4)重綱が二本松転封、堀親良が入封
1659(万治2)親良の子・親昌が山麓に三の丸居館を築く
1672(寛文12)親昌が飯田に転封、板倉重矩入封
1681(延宝9)重矩の子・重種が岩槻転封、那須氏の子孫・資弥が旧領復帰
1687(貞享4)那須氏がお家騒動で改易、永井直敬入封
1702(元禄15)直敬が赤穂転封、稲垣重富入封
1725(享保10)重富の子・昭賢が鳥羽転封、大久保常春が入封、以降明治まで大久保氏の居城
1871(明治4)廃城
1873(明治6)大雪で三の丸居館が倒壊、山上の本丸も同年焼失


烏山城には何本か登城道があるようだが、今回はこの八雲神社から登る。

毘沙門山の中腹に彰徳碑。戦没者の慰霊碑という話。

毘沙門山を登り切ると展望台。往時にも物見台があったのだろうか?

この展望台から一旦降りて堀切を越えると烏山城らしい。

と思ったらもう一山(送電塔がある)越し、長く急な下り坂に。帰りはこれを登るのか・・・。写真は送電塔の脇に咲いていたオカトラノオ。

この堀切辺りから城域か?

堀切。目の前の高台を直登するか堀に作られた歩道を行くか。

結果、直登しても道はなく、歩道の先に道標が。ここから右に降りると七曲りを経て三の丸に行けるらしい。

車橋跡。1995(平成6)年刊の「日本の名城」関東編には「本丸と古本丸の間に車橋」という記述があるが場所が違う。ちなみに本丸と古本丸の間にも橋はない。

側の石は橋台跡?

堀切なんだけど籔になっててよくわからん。

蜘蛛の巣を払いながら山道を登るとようやく石垣が。近世二の丸跡。

石垣。

上から。

近世二の丸(常盤曲輪)の入口・吹貫門跡。

案内図。

説明。

右に行くと塩倉跡。さらに行くと厩屋跡。今回はそちらへは向かわず本丸へ。

正門跡。かすかに石垣跡が見える。

石UP。

回り込むと石垣の形を残しているのが見える。

石UP。

土塁に一部石垣。曲輪の内側なので土留めか?

本丸脇の巨大な空堀。

空堀。

二の丸跡。

堀切を渡る。

右。

左。

さらに進むが籔化が激しい。これ以上行くのも無理そうなのでここで撤退。




北関東の一覧へ