笠間城 2004.2.14



所在地: 茨城県笠間市佐白山
最寄駅: JR水戸線笠間駅
別 名: 桂城
現存遺構: 八幡台櫓(移築)、石垣、土塁
再建建物: 時鐘楼
区 分: 山城
城 主: 笠間氏、玉生氏、蒲生氏、松平氏、小笠原氏、永井氏、浅野氏、井上氏、牧野氏
歴 史: 1205(元久2) 笠間時朝により築城(承久年間説もあり)
1590(天正18) 秀吉の命により宇都宮氏が笠間氏を滅ぼし、宇都宮氏の家臣・玉生高宗が笠間城に入る
1598(慶長3)蒲生秀行の宇都宮入りに従って蒲生郷成が笠間城に入り、櫓など建造
1601(慶長6)蒲生郷成が秀行に付いて会津に移り、松平(松井)康重が入封し笠間藩立藩
1608(慶長13)康重が篠山転封、小笠原吉次入封
1609(慶長14)吉次改易、笠間は天領に
1612(慶長17)松平(戸田)康長入封し再立藩
1616(元和2)康長転封、永井直勝が入封
1622(元和8)直勝転封、浅野長重入封
1645(寛永21)長重の子・長直が赤穂転封、井上正利入封
1692(元禄5)正利の子・正任転封、松平(本庄)宗資入封
1702(元禄15)宗資の子・資俊転封、正任の子・正岑入封
1747(延享4)井上氏三代正経転封となり牧野貞通が入封、以後明治まで牧野氏の居城
1871(明治4)廃城


まずは八幡台櫓(物見櫓)が移築されている山麓の真浄寺に。

現在は「七面堂」として使われているが、立派な櫓だ。1880(明治13)年に有志の手でこの寺に移築されたそうだ。

寺の脇にある墓地に上ると櫓の全景が見える。そういうのも元の場所にあったらできない話。

真裏から。

櫓の周りを一周回れます。

佐白山麓公園に。居館跡らしいが遺構などはなし。

時鐘楼。模擬復元。本物の鐘は麓の観世音寺にあるそうだ。

山道を登る。先月の二本松城以来の山城だ。つらい。

ようやく山頂に。標高182m。真浄寺からさらに20分ほどかかった。

復元案内図。

本丸跡。

堀切を渡って殿主台に。

天守跡の碑。

関東の城には珍しい石垣。

縦で。

殿主台。この石段は後年作られたものだろう。

この石垣は?

殿主台には現在佐志能神社。

この石垣は殿主台の石垣だろうなあ。

裏に回る。石垣が崩れたものなのか、石が無造作に積んであるだけなのか。

殿主台下の石垣跡。

降りる途中に「石倉」に。この石壁を登れば石倉に行くらしいが、登ってたら足が攣りかけたので断念。

この曲輪は?

八幡台櫓跡だった。

八幡台櫓跡から笠間市街を見下ろす。

曲輪らしきものがたくさんあるのだが、特に説明文がないので何なのかわからない。

帰りは車道を降りる。途中隧道を通る。なんか気味悪いので走って通り抜けたが、有名な「ミステリースポット」らしい。さらに坂を下りていくと突然現れる石垣。

大手門(黒門)跡らしい。

大手門がここにあったのだろうか。

その下は千人溜り跡。現在は駐車場。

道に迷ったら「坂尾門跡」の碑を見つけた。

佐白山を下りて駅に向かう。途中にこういう石碑が。「枡形」がそのままこのへんの地名になってるんだそうだ。

そう言われてみるとクランク状になってるような。




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