川越城 2004.5.29



所在地: 埼玉県川越市郭町2丁目
最寄駅: 西武新宿線本川越駅
別 名: 河越城、初雁城、霧隠城
現存遺構: 本丸御殿、富士見櫓跡土塁
区 分: 平城
城 主: 上杉氏、北条氏、酒井氏、堀田氏、松平氏、柳沢氏、秋元氏
歴 史: 1457(長禄元)扇谷上杉持朝が太田道真、道灌に命じて築城させる
1537(天文6)上杉朝興の死に乗じて北条氏康が川越城奪取
1546(天文15)川越城の戦いで北条勝利後大道寺政繁が城代として入城
1590(天正18)徳川家康江戸入りに際し酒井重忠が初代川越藩主として入城
1601(慶長6)重忠が前橋に転封
1609(慶長14)酒井忠利が入封
1634(寛永11)忠利の子・忠勝が小浜に転封
1635(寛永12)堀田正盛が老中となり川越入封
1639(寛永16)正盛松本転封、松平(長沢)信綱が入封、城郭の拡張・整備を行う
1694(元禄7)松平氏3代信輝が古河に転封、柳沢吉保が入封
1704(宝永元)吉保が甲府に転封、代わって秋元喬知が入封
1767(明和4)秋元氏4代・涼朝が山形に転封、代わって松平(越前)朝矩が洪水被害を受けた前橋から移動
1846(弘化3)川越の大火で二の丸にあった御殿が焼失
1848(嘉永元)松平氏4代・斉典が本丸に御殿を再建
1867(慶応3)7代・直克が前橋に帰封、代わって松平(松井)康英が入封
1871(明治4)廃城、建物払い下げ
1987(昭和62)民家に移築されていた本丸家老詰所が再移築(復元場所は異なる)


1年ぶりに川越城訪問。まずは喜多院の書院(江戸城より移築)に。

田曲輪門跡。富士見櫓跡の横。つまり本丸の端。

富士見櫓跡。今では木の茂った小山でしかない。

富士見櫓跡の説明文。

頂上?には石段が続く。

頂上。昔は二階櫓(本丸御殿に模型あり)が建ってたらしいが今は何もない。隣には御嶽神社。

別方向から富士見櫓跡の土塁。

川越城の唯一残る遺構・本丸御殿に。1848(嘉永元)年に時の城主・松平斉典により造営。

唐様破風。

ちょっと角度変えて。

逆から。

縄張り図。

横から。

再度唐様破風。

御殿内部。入場料は100円、写真撮影は許可制(その場で記帳すればよい)。御殿といっても残っているのは玄関部分のみで居住空間(客殿)はない。

本丸御殿内部。

本丸御殿内に展示してある「江戸図屏風」(一部)。これを見ても天守はなく、石垣すらもあまりなかったようだ。櫓は富士見櫓、虎櫓、菱櫓の3つがあったそうだが、いずれも廃城の前後に破却。

同じく展示品の縄張り図。

1987(昭和62)年にこの地に移築復元された家老詰所。

家老詰所から本丸御殿。

家老詰所内部。

中庭。

家老詰所から本丸御殿。

再び御殿玄関全景。




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