杵築城 2003.4.29



所在地: 大分県杵築市大字杵築
最寄駅: JR日豊本線杵築駅
別 名: 木付城、臥牛城、勝山城
現存遺構: なし
再建建物: 模擬天守、城門
区 分: 山城
城 主: 木付氏、杉原氏、早川氏、松井氏、有吉氏、小笠原氏、松平氏
歴 史: 1394(応永元)頃木付氏により築城?
1593(文禄2)木付氏滅亡
1596(慶長元)杉原長房が近江坂本より入封
1598(慶長3)長房が豊岡転封、早川長政が府内より入封、天守が落雷のため焼失
1599(慶長4)長政は府内に戻る、小倉藩主・細川忠興の領となり松井康之が城代となる
1632(寛永9)小倉藩主・小笠原忠真の弟・忠知が大名となり入封、木付藩立藩
1645(正保2)忠知が三河吉田に転封、松平(能見)英親入封、居館を北側の平地に移す
1711(正徳2)松平3代・重休が木付を杵築と改める
1871(明治4)廃城
1970(昭和45)城跡に模擬天守築造


青筵(せいえん)神社の階段を上り市民会館まで出ると向こうの方に天守が見える。下は浜辺。

復元?された城門。

城門を入ると庚申塚とか石仏とかが並べてある。

さらにちょっと上ると児童公園みたいなのがあって奥に模擬天守が。

天守の入場料は210円。入り口がサッシなのが興ざめ。

この天守は1970(昭和45)年建築の鉄筋コンクリート製歴史資料館だが、杵築城の天守(天守櫓)自体1599(慶長4)年には破却されており、さらには城としての機能も1645(正保2)年には平地に移転されてここは江戸時代から「城跡」に過ぎなかったらしい。

3層の天守から見下ろすと浜辺では潮干狩り客多数。

天守。

天守。

城山公園を降り、ちょっと歩くと北台武家屋敷跡に続く「勘定場の坂」。

磯矢邸跡。

藩校の門。今も杵築小学校の門として使われている。

大原邸跡。大原氏は杵築藩の家老。ここも210円払って入ってみる。

8部屋か9部屋とかなり広い家。

中庭。

土間。

中庭側から。

杵築名物「城もなか」。




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