古河城 2004.1.2



所在地: 茨城県古河市大手町辺り
最寄駅: 東武日光線新古河駅
別 名: 蛤城
現存遺構: 乾門(移築)、古河公方館土塁
区 分: 平城
城 主: 下河辺氏、足利氏、簗田氏、小笠原氏、松平氏、奥平氏、永井氏、土井氏、堀田氏、本多氏
歴 史: 1180(治承4)頃下河辺行平が館を築く
1440(永享12)結城氏朝が足利持氏の遺児を要して挙兵(結城合戦)、古河城は落城
1455(康正元)足利成氏が古河公方館に入り、足利公方を名乗る
1457(長禄元)足利成氏が古河城を改修して移る
1558(永禄元)古河公方の重臣・簗田晴助が古河城を居城とする
1583(天正11)五代足利義氏が没、古河公方断絶
1590(天正18)小笠原秀政が入城し城を拡張・修復、義氏の息女は鴻巣館(旧古河公方館)に移す
1602(慶長7)秀政が飯田に転封、松平(戸田)康長入封
1612(慶長17)康長笠間に転封、小笠原信之入封
1619(元和5)信之の子・政信が関宿転封、奥平忠昌入封
1622(元和8)忠昌が釣天井事件で宇都宮に戻され永井直勝が入封
1633(寛永13)直勝の子・尚政が淀に転封、土井利勝が入城し御三階櫓構築など大修築
1681(天和元)利勝の孫・利益が鳥羽転封、堀田正俊が入封
1685(貞享2)正俊の子・正仲が山形転封、松平(藤井)信之入封
1693(元禄6)信之の子・忠之が発狂し改易、松平(大河内)信輝入封
1712(正徳2)信輝の子・信祝が三河吉田に転封、本多忠良入封
1759(宝暦9)忠良の子・忠敝が浜田転封、入れ替わりで松平(松井)康福が入封
1762(宝暦12)康福が岡崎転封、土井利里入封、以降明治まで土井氏7代の居城
1874(明治7)廃城、建物破却
1910(明治43)渡良瀬川河川改修開始、城郭のあった区域は河川敷に


古河城の遺構、乾門は現在福法寺の山門に移築されている。

さらに土井氏江戸下屋敷の門は土井氏歴代の墓がある正定寺に移築。

内側から。

古河城自体は今は渡良瀬川の底に。渡良瀬川にかかる三国橋。

一応「本丸跡」の標柱が。「南総里見八犬伝」で犬塚信乃と犬飼現八が闘った「芳流閣」ってのはここにあったんでしょうか?なんとなく五層の城のようなイメージがあったが、その時代(1478年頃)だとそんなわけはないわな。

こんな感じで三国橋と新三国橋のちょうど真ん中くらいの河川敷にぽつんと建っている。

新三国橋。

三国橋から約1.5km、時間にして徒歩30分、古河総合公園に到着。

古河総合公園内の古河公方館跡。1455年から1457年の間、足利成氏がここに住み「足利公方」を名乗った。



空堀。

その隣にある旧中山家住宅(茨城県岩井市)。1674(延宝2)年頃の建築といわれる。




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