興国寺城 2006.2.5



所在地: 静岡県沼津市根古屋
最寄駅: JR東海道本線原駅
別 名: 杜若城、久窪城、深田山城
現存遺構: 石垣、曲輪、土塁、空堀
区 分: 平山城
城 主: 北条氏、今川氏、垪和氏、曽根氏、天野氏
歴 史: 1487(長享元)伊勢新九郎(のちの北条早雲)が築城?
1491(延徳3)伊勢新九郎は韮山に移り、今川領に
1536(天文5)北条氏綱が駿東に進出、興国寺城も支配
1545(天文14)今川義元が奪回
1549(天文18)興国寺城を大改修
1568(永禄11)北条氏政が奪取、垪和氏継を守備に置く
1571(元亀2)甲相和睦により武田配下に
1582(天正10)武田氏滅亡により城主曾根正清は興国寺城を徳川家康に明け渡す
1601(慶長6)天野三郎兵衛康景が城主に
1607(慶長12)三郎兵衛が幕府に逆らって出奔、廃城に
1995(平成7)国史跡に指定


東海道線原駅から旧東海道、興国寺城通りを30分、突き当りまで来ると興国寺城整備計画の看板が。これによると建物を建てたりはせずに、土塁・空堀・水堀(蓮池?)を復元する計画のようだ。

石材屋さんが立てた興国寺城跡の石碑。

二の丸にはユンボとダンプ。なくなってしまった土塁や空堀を復元してる最中か?

同時に教育委員会による発掘調査も進行中。

二の丸調査中。

本丸も掘り返して調査中。

本丸土塁。

本丸の奥に興国寺城跡の標柱、案内板と初代城主・北条早雲および最後の城主・天野康景の碑。

案内板の古地図(廃城後に描かれたものらしい)。

本丸奥の土塁。

天守台石垣。

土塁の向こうは空堀を隔てて北曲輪。

本丸と北曲輪の土塁。

大空堀。

空堀から天守台。

北曲輪は一部茶畑。

堀切。

天守台。

逆光の西櫓台。

この奥は民家らしく立入禁止。

天守台に戻る。

長く伸びる土塁。

天守台から眺めた本丸。




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