小諸城 2008.1.13



所在地: 長野県小諸市古城
最寄駅: JR小海線・しなの鉄道小諸駅
別 名: 酔月城、白鶴城、鍋蓋城
遺 構: 曲輪、三の門、大手門、石垣、空堀
区 分: 平山城(穴城)
城 主: 武田氏、滝川氏、依田氏(芦田氏)、松平氏、仙石氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、牧野氏
歴 史: 1554(天文23)武田信玄が山本勘助らに命じて大井氏の城跡に築城と言われる
1582(天正10)武田氏滅び、織田信長の家臣・滝川一益が城代になるが信長の死後は依田氏が城主に
1583(天正11)徳川家康が北条氏より奪い取り依田氏の子孫松平康国が城主に
1590(天正18)仙石秀久が入城、城を大改修
1615(元和元)三の門創建
1622(元和8)秀久の子・忠政が上田転封、小諸藩は廃藩
1624(寛永元)松平(久松)憲良が入封、小諸藩再興
1626(寛永3) 落雷により三層の天守焼失、以後再建されず
1647(正保4)松平氏無嗣廃絶、再び廃藩
1648(慶安元)青山宗俊が入封、小諸藩再興
1662(寛文2)宗俊が大坂城代となり、酒井忠能が入封
1679(延宝7)忠能が一揆発生の責任を取らされ改易、西尾忠成入封
1682(天和2)忠成が横須賀転封、松平(大給)乗政入封
1702(元禄15)乗政の子・乗紀が岩村に転封し牧野康重入封、以後明治まで牧野氏の居城
1742(寛保2)三の門が洪水で流失
1765(明和2)三の門再建
1871(明治4)廃城
1880(明治13)本丸跡に懐古神社創設
1881(明治14)城跡を懐古園として開放


修復工事中だった大手門が一部保護されてるのを除いて見学可能になっていた。

大手門脇の石垣。

大手門を駅側から。

ちょっと離れて。

三の門に。懐古園入り口。

三の門を内側から。

三の門脇の石垣。

二の丸の復元石垣。

二の門跡。

内側から。

二の丸跡。

北丸跡。

南丸跡。

黒門橋。

空堀。

空堀。

御駕籠台跡。

黒門跡。

黒門跡。

本丸跡には懐古神社。

小諸城址の碑。

本丸庭園。

本丸石垣。

本丸石垣。

地獄谷。

地獄谷。

天守台石垣。

天守台石垣。

天守台石垣。

天守台石垣。

本丸石垣。

本丸石垣。




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