小諸城 2009.7.19



所在地: 長野県小諸市古城
最寄駅: JR小海線・しなの鉄道小諸駅
別 名: 酔月城、白鶴城、鍋蓋城
遺 構: 曲輪、三の門、大手門、石垣、空堀
区 分: 平山城(穴城)
城 主: 武田氏、滝川氏、依田氏(芦田氏)、松平氏、仙石氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、牧野氏
歴 史: 1554(天文23)武田信玄が山本勘助らに命じて大井氏の城跡に築城と言われる
1582(天正10)武田氏滅び、織田信長の家臣・滝川一益が城代になるが信長の死後は依田氏が城主に
1583(天正11)徳川家康が北条氏より奪い取り依田氏の子孫松平康国が城主に
1590(天正18)仙石秀久が入城、城を大改修
1615(元和元)三の門創建
1622(元和8)秀久の子・忠政が上田転封、小諸藩は廃藩
1624(寛永元)松平(久松)憲良が入封、小諸藩再興
1626(寛永3) 落雷により三層の天守焼失、以後再建されず
1647(正保4)松平氏無嗣廃絶、再び廃藩
1648(慶安元)青山宗俊が入封、小諸藩再興
1662(寛文2)宗俊が大坂城代となり、酒井忠能が入封
1679(延宝7)忠能が一揆発生の責任を取らされ改易、西尾忠成入封
1682(天和2)忠成が横須賀転封、松平(大給)乗政入封
1702(元禄15)乗政の子・乗紀が岩村に転封し牧野康重入封、以後明治まで牧野氏の居城
1742(寛保2)三の門が洪水で流失
1765(明和2)三の門再建
1871(明治4)廃城
1880(明治13)本丸跡に懐古神社創設
1881(明治14)城跡を懐古園として開放
2008(平成20)大手門を修復、周囲を公園化


懐古園入り口の三の門。

内側から。

二の門跡。

二の丸跡。

中仕切門跡。

北の丸跡。現在は弓道場。

南の丸跡。

南の丸跡。

南の丸跡。

南の丸跡。

紅葉谷。

黒門橋を渡り本丸へ。

黒門跡石垣。

本丸石垣。

天守台。

天守台。

天守台。

天守台。

天守台。

地獄谷に架かる酔月橋。

地獄谷。

荒神井戸。

アジサイ。

アジサイ。

アジサイ。

懐古神社。

大手門。

逆側から。

ちょっと引いて。

石垣に継ぎ目が。元からあったものかそれとも今回の整備でできたものか?

説明板。「大手門またの名を瓦門といい小諸城主仙石秀久が築造した正門である。現存の門は慶長17年(1612年)の建立と言われています。五間の櫓門、入母屋造の本瓦葺で北面しており、一階は桁行五間(一間は約1.82m)梁間ニ間とし正面中央間の鏡枝等太い柱を用いるなど豪壮快な構えとなっている。二階は桁行七間、梁間三間、垂木には反り増しがある。東西ニ室で畳敷とし座敷のようになっている。入口は東側中央間とし板縁を設けてある。近世初頭の大型の城門として日本の城門発展の過程を知るうえに価値が高く重要な建物であります。」




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