大和郡山城 2003.11.30



所在地: 奈良県大和郡山市城内町
最寄駅: 近鉄京都線近鉄郡山駅
別 名: 犬伏城
現存遺構: 曲輪、石垣、堀
再建建物: 追手門、追手東隅櫓、追手門向櫓、多聞櫓
区 分: 平山城
城 主: 筒井氏、豊臣氏、増田氏、大久保氏、山口氏、水野氏、松平氏、本多氏、柳沢氏
歴 史: 1580(天正8)筒井順慶が築城
1583(天正11)天守完成
1585(天正13)順慶の養子・定次が伊賀上野に転封、豊臣秀長が入城
1595(文禄4)秀長の子・秀保が死去し大和豊臣家断絶、増田長盛が入城
1600(慶長5)関ヶ原の合戦後長盛が高野山に追放され、大久保長安が城番となる
1610(慶長15)山口直友が郡山城在番となる
1614(慶長19)筒井定慶が郡山城在番となる
1615(慶長20)大坂夏の陣で城下焼討ち、定慶は逃亡の後切腹。戦後水野勝成が入封、郡山藩立藩
1619(元和5)勝成が福山転封、松平(奥平)忠明が入封し伏見城の廃材を用いて大修築、二の丸に御殿を築く
1639(寛永16)忠明が姫路転封、本多政勝が入封
1679(延宝7)本多政長(政勝の子)の嫡養子・忠国が福島に転封され松平(藤井)信之が入封
1685(貞享2)信之転封、本多忠平入封
1724(享保9)本多家5代忠烈が幼少を理由に転封され柳沢吉里が入封、以降明治まで柳沢氏の居城
1873(明治6)廃城、建物取り壊し
1983(昭和58)追手門復元
1984(昭和59)追手東隅櫓、多聞櫓復元
1987(昭和62)追手門向櫓、多聞櫓復元


近鉄郡山駅からほんの数分。これは柳御門跡。

石垣と外堀。

鉄御門跡。

内堀と本丸石垣。

1987(昭和62)年に復元(復興?)された追手門向櫓。

1984(昭和59)年に復元(復興?)された追手東隅櫓。

再び向櫓。木造による復元。下見板張りの部分は古そうに見えるが結構最近の復元なのだな。「復元」なのか「復興」なのか「模擬」なのかは資料がない。

1983(昭和58)年に復元された追手門。

追手門UP。

向櫓と多聞櫓。

内側から多聞櫓。

これは市民会館。1908(明治41)年築だそうだ。

向櫓UP。

二の丸から天守台。

本丸石垣。

本丸と二の丸を分ける内堀。

これが柳沢文庫?

水が涸れた内堀。

竹林門跡。

本丸石垣。

天守台辺り。

天守台には石不足のため地蔵や石仏が多数使われている。

内堀の周りを一周、再び向櫓と多聞櫓。

柳沢神社に入る。明らかに「城址公園」と書いてあったであろう石柱がなぜかセメントで塗りつぶされている。現在本丸は柳沢神社があるのみ。柳沢吉保が「神」と言われてもなんか違和感が。

神社の脇を抜けて天守台に。

天守台。

復元櫓群を見下ろす。

紅(黄?)葉。次は桜の時期に来てみたい。




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