久留里城 2004.1.10



所在地: 千葉県君津市久留里
最寄駅: JR久留里線久留里駅
別 名: 雨城
現存遺構: 曲輪、天守台跡
再建建物: 模擬天守
区 分: 平山城
城 主: 里見氏、北条氏、大須賀氏、土屋氏、黒田氏
歴 史: 1540(天文9)真野谷武田氏の勝眞勝が眞勝寺を創建(城の始まり)
1553(天文22)里見義堯が改築、入城
1564(永禄7)北条氏康が攻略
1567(永禄10)義堯が奪還
1578(天正6)義堯の子・義弘の死後、子の義頼は安房のみ継ぐことになるが家督争いを起こし久留里城を落とす
1590(天正18)里見家上総領没収、家康の家臣・大須賀忠政が入城
1601(慶長6)忠政が横須賀転封
1602(慶長7)土屋忠直入封
1680(延宝8)土屋氏3代直樹の発狂により改易、久留里城は廃城
1742(寛保2)黒田直純が久留里藩再興
1743(寛保3)直純、新たに久留里城を築く、以降明治まで黒田氏の居城
1872(明治5)廃城、破却
1955(昭和30)国有地を借り受け城山公園に
1979(昭和54)本来の天守台の横に復興天守を築造


JR久留里線久留里駅。駅を出て少し歩くと国道410号にぶつかる。案内が出てないが、駅前の案内板によると「東南2km」ということだったので朝日の方(向かって右)に歩く。15分ほど歩道の狭い国道を歩くとようやく「100m先左折」という案内が。

城の入口に到達。隧道をくぐるコンクリートの道と「二の丸への旧道」と書かれた山道に分かれていたので山道の方を選ぶ。するとすぎに黒田直純が建てたらしい神明神社が。

山道を登っていくと「火薬庫跡」。

まだまだ上る。

二の丸の下に。「お玉が池」とあるが水はなし。

二の丸脇の薬師曲輪跡。

ここからは三の丸跡などが見渡せる。

案内板の写真。御殿があったのは山麓の三の丸だったのだなあ。遺構全くなし。

二の丸には復元された土塀と資料館。結局駅からは30分かかった。

二の丸から本丸に向かう途中にある天神曲輪跡。現在はトイレ。

もうひとつ波多野曲輪跡。

ようやく本丸に。

模擬天守。浜松城がモデルらしいが、浜松城自体が史実に正確な再現かどうか・・・。ちなみに浜松城写真

こっちが本当の天守台跡。

別角度からワイコンで。

天守もワイコンで。

現在の天守は二層三階。中の展示物は現存12天守の写真のみ。

実際あったのは二階建てと思われる。

再度正面から。

本丸の土塁。

天守台を上から。発掘された礎石はどっかに移されているようだ。

天守台と現在の天守。

天守。

さっきと違う道から二の丸へ。途中にある鶴の曲輪跡。

同じく久留里曲輪跡。

その奥。ベンチがひとつ。

堀切跡。

これも堀切跡。コンクリートに覆われてはいるが、その跡が見て取れる。さらにその上もコンクリートで道が作ってあるが、往時はここにはいつでも落とせるような木橋が掛けられていたそうだ。

城に向かう途中にある眞勝寺。黒田氏の墓がある。




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