名島城 2009.12.13



所在地: 福岡市東区名島1丁目
最寄駅: 西鉄貝塚線名島駅
現存遺構: 曲輪、移築門
区 分: 平山城
城 主: 立花氏、小早川氏、黒田氏
歴 史: 1532〜1555
(天文年間)
立花艦載が立花山城の支城として築城
1587(天正15)小早川隆景が筑前国主に任ぜられ入封、城を改築
1600(慶長5)隆景の子・秀秋が加増転封、筑前には黒田長政が入封
1601(慶長6)長政が福崎に築城開始、名島城は解体


名島城跡は現在名島神社。名島神社に上る石段。

石段の脇の説明板。「名島城はもと大友の根拠地で立花城の出城であった。天正十五年(一五八七年)豊臣秀吉は島津征伐の後、小早川隆景を筑前国主に封じ、この城を増強するとともに「御座所」を設けさせ、何か事がおこった場合に備えるとともに、九州監察の中心とした。文禄の役の折に秀吉は肥前名護屋への西下の途中、淀君らとこの城に立寄って宿泊をしている。この城は関が原合戦後、慶長五年(一六〇〇年)黒田長政が筑前国主<となり、やがて福崎の地に新しく福岡城を築いたので、廃城となったが、城跡らしさがまだ残っている。山腹の名島神社は宗像三女神を祭神とし、元来神宮が峰に祀られていたのを隆景が築城する時、現在地に移したものである。なお、神社の本地仏である弁財天は、この地宝栄寺に移されている。」

石段を登ったところにある曲輪跡。ブルーシートは城址碑を掘り返した跡?

そこにも別の説明板。「九州を平定した豊臣秀吉が、小早川隆景に命じて、天正16年(1588)から修築し、九州監察の拠点とした。慶長5年(1600)黒田長政が入城したが、福岡城を築いてからは廃城となった。また、神社は当初、山上にあったが、隆景が修築のとき、本丸下の現在地に移されたものである。」

天守台に上る石段が新しく作られていた。

しかし工事はまだ完了しておらず、入れるのは来年1月以降。模擬天守的展望台を作るという噂もあったが、遠目に見てもそういうのは見えなかったのでおそらくただの公園になったと思われる。

下から天守台。

千代町の崇福寺に移築されている名島城の唐門(伝)。

唐破風UP。

福岡城跡に移築された名島門。

説明板。「この門は、天正15年(1587)小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596〜1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士平岡浩太郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後富士ビルの建設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されたものです。」

裏側。




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