中村城 2003.6.1
所在地: |
高知県四万十市中村 |
最寄駅: |
土佐くろしお鉄道中村線中村駅 |
別 名: |
為松城 |
現存遺構: |
曲輪、石垣 |
再建建物: |
模擬天守 |
区 分: |
山城 |
城 主: |
長宗我部氏、山内氏 |
歴 史: |
1576年頃 | 長宗我部氏が一条氏を追い出してこの地に築城 |
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1600(慶長2) | 長宗我部氏が実権を失い城放棄、城跡は荒廃 |
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1601(慶長3) | 山内一豊の弟・康豊が入封、中村城普請開始 |
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1613(慶長15) | 二代藩主・政豊が修復 |
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1615(元和元) | 一国一城令により中村城は廃城、陣屋を置く |
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1629(寛永6) | 政豊が死去、無嗣のため中村藩廃藩 |
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1656(明暦2) | 土佐藩二代藩主山内忠義の次男・忠直が中村藩再興 |
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1689(元禄2) | 3代・豊明が若年寄辞職、蟄居を命じられ中村藩廃藩 |
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1965(昭和40) | 石垣の遺構発見 |
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1973(昭和48) | 幡多郷土資料館(現・四万十市立郷土資料館)開館 |
山道を登って行くと途中に「中村城三の丸」と書かれた石碑が。
さらに上ると二の丸跡に犬山城を模して造られた幡多郷土資料館(現・四万十市立郷土資料館)が。「中村城を再建した」とは言ってないところがよい。
事実長宗我部時代は山城に望楼があった程度、山内家時代も天守は存在したことがないと思われる。さらに1689(元禄2)年には中村藩3万石自体が高知山内家に返されているから「城下町・中村」でもないような。
もうちょっと上ると「為松城跡」の石碑。この辺りが長宗我部時代「詰」と呼ばれた本丸だったらしい。石碑には「この石碑左手50mのところにその当時の土塁の一部がある」と書いてあるが、それがそれだかわからず。つまるところ遺構はほとんどないということ。
本丸跡はちょっとした遊具のある公園。
サツキ。
せっかくなので幡多郷土資料館に入ってみる。入館料310円。
階段の途中に「熊の剥製が飾ってあります。驚かないでください。」と立て看板。2階に上がるとガラスケースの外に熊。なんでも小熊の頃に捕まって、為松公園で飼われていた(のちに病死)熊らしい。
長宗我部時代の城の想像復元図。出土した長宗我部時代の瓦も展示してあった。
最上階の展望台から四万十川を眺める。
こちらは後川。中村はこの2本の川にはさまれた町。
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