西尾城 2004.6.27



所在地: 愛知県西尾市錦城町
最寄駅: 名鉄西尾線西尾駅
別 名: 錦城、西条城
現存遺構: 石垣、堀、土塁
再建建物: 本丸丑寅櫓、鍮石門
区 分: 平城
城 主: 足利氏、酒井氏、田中氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏、松平氏
歴 史: 1221(承久3)足利義氏が西条城築城と言われる
1561(永禄4)酒井正親が徳川家康から城主を命じられ、西尾城と改名
1585(天正13)正親の子・重忠が天守を築
1590(天正18)重忠が家康に従って関東移封、岡崎城主田中吉政が西尾城主を兼ねる
1595(文禄4)吉政が城域を拡張する
1601(慶長6)本多康俊が初代西尾藩主として入封
1617(元和3)康俊が膳所移封、松平成重入封
1621(元和7)成重丹波亀山移封、康俊の子・俊次が膳所より還封
1636(寛永13)俊次伊勢亀山移封、西尾藩は廃藩となり天領に
1638(寛永15)太田資宗入封、西尾藩を再興し城下町整備
1644(寛永21)資宗浜松移封、再び天領に
1646(正保2)井伊直政の孫・直好入封、西尾城改築
1659(万治2)直好掛川移封、増山正利入封
1673(寛文3)正利の子・正弥が下館移封、土井利長入封
1747(延享4)土井家4代・利信が刈谷移封、三浦義理が入封
1764(明和元)義理の子・明次が美作勝山移封、松平乗佑が入封し以降大給松平家が明治まで城主
1872(明治5)西尾城解体
1878(明治11)廃城
1996(平成8)本丸丑寅櫓・鍮石門再建


西尾歴史公園の入口にもなっている鍮石門(二の丸表門)。

本丸丑寅櫓。1996(平成8)年再建。

西尾城とは関係ないが、現在二の丸に移築されている旧近衛邸。

内堀跡。

本丸石垣。

縄張り図。現在本丸の大部分は御劔八幡宮になっている。

丑寅櫓に入ってみる。

木造による再建だった。

外からは三層に見えるが二階部分は低く実質二階建て。往時からそうだったのか再建時に法規制等でそうなったのかは不明。

本丸表門跡。

西尾市資料館前から丑寅櫓。

縦で。

資料館前に姫丸門跡の標柱。

丑寅櫓。とにかく木が茂っていてよく見えない。

下から。

ちょっと下がって。

土塁の上から。

二の丸から。

丸馬出を白砂で再現してあった。

西尾市錦城体育館前から。

縦で。

さらに遠くから。




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