沼田城 2022.5.2



所在地: 群馬県沼田市西倉内町
最寄駅: JR上越線沼田駅
別 名: 倉内城
現存遺構: 石垣、土塁、堀
再建建物: 鐘楼
区 分: 丘城
城 主: 沼田氏、上杉氏、北条氏、真田氏、滝川氏、猪俣氏、本多氏、土岐氏
歴 史: 1532(天文元)沼田顕泰が築城、幕岩城から移る
1569(永禄12)顕泰が会津に逃走、上杉謙信が柴田右衛門尉を城代として置く
1578(天正6)謙信の死後、北条氏政・氏直が領有
1580(天正8)真田昌幸が沼田城、名胡桃城を北条から奪取
1582(天正10)武田氏滅亡により滝川一益の家臣・益重が城主に。本能寺の変の後滝川氏が去り、天正壬午の乱が起き、秀吉の裁定により真田から北条に引き渡される
1589(天正17)沼田城代の猪俣邦憲が真田昌幸の名胡桃城を略奪し、北条征伐の口実となる
1590(天正18)北条氏滅び、真田昌幸の子信幸が城主に
1601(慶長6)信之(信幸から改名)が城を修築
1622(元和8)信之が松代移封、沼田は長男の信吉が分藩の藩主となる
1658(明暦4)真田本家とお家騒動・沼田藩独立、信吉の子・信直が五層の天守を築造
1681(天和元)信直が悪政等を理由に幕府により改易、沼田は天領となり天守など全て破却
1703(元禄16)本多正永が入封し沼田藩再興、城を再建(天守はなく、御殿のみ)
1742(寛保元)土岐頼稔が入城、以来版籍奉還まで土岐氏が城主
1869(明治2)廃城、建物破却
1916(大正5)元沼田藩士の子・久米民之助が荒廃した城跡を購入・資材を投じて整備
1926(大正15)公園が沼田町に寄贈


沼田公園入口。

沼田城址の碑。

鐘楼。真田の時代に三の丸にあったものを1887(明治20)年に復元。

横から。

西櫓台に向かう。

西櫓台。

西櫓台の石垣。

真田時代の石垣とされるが、危険ということで近づけなくなっていた。

桜ごと崩れかねないなあ。

これはまた積み方がちょっと違う。

こちらの面は石垣崩落済み。

残っている部分もあれば、

完全に土塁だけになっている部分も。

この季節はツツジ。

色が違うツツジ。

平八(沼田平八郎景義)石。心霊スポットらしい。

城跡から河岸段丘の底あたりを眺める。

天狗堂。

真田信之と小松姫の像。

五層の天守があったとされる根拠の古図面。

天守跡の碑。

重要文化財・生方家旧宅は修理中。生方家は沼田藩と取引のあった商家。

本丸堀跡の池。

発掘調査記録。

池の水は抜いてある。

これは真田時代の石垣とされる。

先ほどの発掘記録によると6mほどあったとされる堀の石垣の底の部分1.5mだけが残っているそうだ。

三の丸土居跡。

この道が堀の跡らしい。




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