| 所在地: | 神奈川県小田原市城内 | |
| 最寄駅: | JR東海道新幹線・東海道本線小田原駅 | |
| 別 名: | 小峯城 | |
| 現存遺構: | 曲輪、石垣、堀 | |
| 再建建物: | 復興天守、二の丸隅櫓、常盤木門、銅門 | |
| 区 分: | 平山城 | |
| 城 主: | 大森氏、北条氏、大久保氏、阿部氏、稲葉氏 | |
| 歴 史: | 1417(応永24) | 大森頼春が小田原へ入部(小田原城築城か?) |
| 1495(明応4) | 伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を奪取 | |
| 1561(永禄4) | この頃までに本丸、二の丸完成か? | |
| 1590(天正18) | 豊臣秀吉の小田原征伐後大久保忠世が入城して改修開始 | |
| 1594(文禄3) | 忠世の子・忠隣が初代小田原藩主に、初期天守建設? | |
| 1614(慶長19) | 忠隣が改易、番城に | |
| 1619(元和5) | 阿部正次が入封 | |
| 1623(元和9) | 正次が岩槻転封、再び番城に | |
| 1624〜44 (寛永年間) | 内郭部を幕府直轄により改修工事 | |
| 1632(寛永9) | 稲葉正勝が入封 | |
| 1686(貞享3) | 稲葉家3代・正往が高田転封、大久保忠隣の孫・忠朝が入封、以降明治まで大久保家が城主 | |
| 1703(元禄16) | 大地震により天守・櫓等倒壊 | |
| 1706(宝永3) | 天守再建 | |
| 1870(明治3) | 廃城 | |
| 1872(明治5) | 天守・櫓等解体撤去、天守台には大久保神社設置 | |
| 1901(明治34) | 城内に小田原御用邸設置 | |
| 1923(大正12) | 関東大震災で櫓・石垣など倒壊、御用邸も大破のため廃止 | |
| 1934(昭和9) | 二の丸隅櫓復興 | |
| 1938(昭和13) | 国史跡に指定 | |
| 1960(昭和35) | 天守復興 | |
| 1971(昭和46) | 常盤木門復興 | |
| 1997(平成9) | 銅門復元 | |
| 2005(平成17) | 馬出門復元工事開始 | |
小田原駅東口の階段から天守が見える。
「お堀端通り」から入ると途中に三の丸幸田門跡の土塁がある。が、何がどう門の跡なのかいまいちわからん。
お堀に到着。赤い橋は「学橋」。
隅櫓と隅櫓橋。
この「めがね橋」の正式名称は馬出門土橋。5月3日はちょうど北条5代祭りのパレードの日であった(もう終わってたけど)。
隅櫓橋を渡って二の丸に。
1997(平成9)年復元の銅門(あかがねもん)。
内側から。
本丸堀跡。今は菖蒲園。
本丸虎口である常盤木門。1971(昭和46)年復興。
常盤木門を正面から。
動物園を抜けると天守が見える。
ちょっと接近。着いたのが4時だったため逆光。
縦で。
天守に登る階段。入場料は400円。中は撮影禁止。
遊園地側に降りるところにある石垣。
天守。ちなみに1970(明治3)年に天守が取り壊され1960(昭和35)年に再建されるまでの間は大久保神社があったそうな。他の、現在神社になってる城も同様に神社移転させて天守とか櫓復興しないもんかな?
天守台が二段構造になってるのはなぜだろう?
裏側に回って。
もう一枚。
天守台の石垣。
帰る前にもう一度天守。
接近。
松の木も入れて。