小田原城 2023.9.2



所在地: 神奈川県小田原市城内
最寄駅: JR東海道新幹線・東海道本線小田原駅
別 名: 小峯城
現存遺構: 曲輪、石垣、堀
再建建物: 復興天守、二の丸隅櫓、常盤木門、銅門、馬出門
区 分: 平山城
城 主: 大森氏、北条氏、大久保氏、阿部氏、稲葉氏
歴 史: 1417(応永24)大森頼春が小田原へ入部(小田原城築城か?)
1495(明応4)伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を奪取
1561(永禄4)この頃までに本丸、二の丸完成か?
1590(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐後大久保忠世が入城して改修開始
1594(文禄3)忠世の子・忠隣が初代小田原藩主に、初期天守建設?
1614(慶長19)忠隣が改易、番城に
1619(元和5)阿部正次が入封
1623(元和9)正次が岩槻転封、再び番城に
1624〜44
(寛永年間)
内郭部を幕府直轄により改修工事
1632(寛永9)稲葉正勝が入封
1686(貞享3)稲葉家3代・正往が高田転封、大久保忠隣の孫・忠朝が入封、以降明治まで大久保家が城主
1703(元禄16)大地震により天守・櫓等倒壊
1706(宝永3)天守再建
1870(明治3)廃城
1872(明治5)天守・櫓等解体撤去、天守台には大久保神社設置
1901(明治34)城内に小田原御用邸設置
1923(大正12)関東大震災で櫓・石垣など倒壊、御用邸も大破のため廃止
1934(昭和9)二の丸隅櫓復興
1938(昭和13)国史跡に指定
1960(昭和35)天守復興
1971(昭和46)常盤木門復興
1997(平成9)銅門復元
2009(平成21)馬出門復元

小田原駅からお堀通りを小田原城に向かって歩いてると土塁と堀の跡。三の丸の入り口にあたる幸田門址。

さらに進むと水堀に突き当たる。二の丸隅櫓。

学橋。

「正式登城口」と書いてある馬出に。

馬出には「めがね橋」と呼ばれる石橋を渡る。

馬出入口。

学橋。

馬出に入る。

こちらが二の門かな。江戸城なんかとは違い両方とも高麗門。

二の門を大腰掛跡から。

馬屋曲輪二重櫓跡石垣。

馬屋曲輪から銅門枡形に。

馬出を振り返る。

住吉橋を渡り内仕切門に。

枡形から渡櫓門。

渡櫓門(銅門)正面。

休日は渡櫓の中が見学できる。人形たちは「小田原評定」やってるらしい。

昔ながらの棟札に「文化庁」とあるのが違和感。

菖蒲田は今は何もない。

常盤木門へ。

常盤木門。

常盤木門。

本丸にあった動物園は廃園になったと聞いていたが、サルの檻は残ってて、2頭ほど中にいた。

天守。

天守。

天守。

天守。

天守。

本丸石垣。

本丸石垣。

天守。

この石垣は元からあるものかわからんな。

報徳二宮神社の方に降りる。土塁。

関東大震災で崩れた本丸石垣の石。

本丸石垣跡。

本丸石垣跡。

本丸石垣跡。

水樋もそのままの形で崩れ落ちている。

本丸石垣跡。

南曲輪石垣。

御茶壷橋から銅門。

堀はハスだらけ。

御茶壷曲輪と銅門。

ハス。

御茶壷橋(小峯橋)。

ハス。咲いていたのはこの一輪のみ。

二の丸堀。

馬屋曲輪二重櫓跡石垣。

弁財天曲輪跡。




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