大垣城 2007.3.17



所在地: 岐阜県大垣市郭町2丁目
最寄駅: JR東海道本線大垣駅
別 名: 麋城、巨鹿城
現存遺構: 柳口門(移築)
再建建物: 天守、隅櫓
区 分: 平城
城 主: 宮川氏、織田氏、竹腰氏、氏家氏、池田氏、三好氏、木下氏、加藤氏、一柳氏、羽柴氏、伊藤氏、松平氏、石川氏、岡部氏、戸田氏
歴 史: 1535(天文4)宮川吉左衛門尉安定が築城(1500=明応9年に竹腰尚綱築城説もあり)
1538(天文7)尚綱の子・重直が城主に
1545(天文14)織田信秀が美濃侵攻、織田信辰が城主となる
1549(天文18)斎藤道三により落城、重直の子・尚光が城主に
1559(永禄2)尚光が長良川の戦いで討ち死に、斎藤義龍の家臣・氏家直元(卜全)が入城、櫓・総囲を築く
1583(天正11)直元の子・直昌(直重)が没し、弟・行広は三塚移封、池田恒興(勝入)が大坂より入封
1584(天正12)恒興が小牧・長久手の戦いで戦死、長男の之助も同時に戦死したため二男の輝政が家督を継ぐ
1585(天正13)輝政が岐阜城を本拠とし大垣城には三好秀次、次いで木下秀長が入城、その後加藤光泰が2万石を与えられ城主になるが同年国替え、一柳直末が入封、天守を建造
1589(天正17)直末が美濃・軽海西城に転封、羽柴秀勝が城主に
1590(天正18)小田原征伐の功により伊藤祐盛(盛景)が入封
1596(慶長元)祐盛が天守を改修
1600(慶長5)祐盛の子・盛正が関ヶ原の合戦後改易、家康の家臣・松平(松井)康重が在番に
1601(慶長6)石川康通が入封
1613(慶長18)石川家3代・忠総が城郭完成
1616(元和2)忠総が日出移封、松平(久松)忠良入封
1624(寛永元)忠良の子・憲良が小諸移封、岡部長盛入封
1633(寛永10)長盛の子・宣勝が龍野移封、松平(久松)定綱入封
1635(寛永12)定綱が桑名に移封、戸田氏鉄入封、以降明治まで戸田氏が城主
1871(明治4)廃城
1936(昭和11)天守が国宝に指定
1945(昭和20)戦災で焼失
1959(昭和34)天守、隅櫓を復元
2010(平成22)天守最上階を改修


前回はあまり時間を使わなかったので今回はちょっとだけ周りも回ってみる。大垣城には「七口之門」というのがあったらしいので堀に沿って回りやすい(わかりやすい)ところだけ回る。まずは西惣門である名古屋口門。

案内板。

堀の跡は水路に。

大手門跡。現在は小さな神社。

この水路も内堀跡らしい。

柳口門跡。小公園になっている。

京口門跡。東惣門。現在も橋が架かっている。

大垣公園に。

戸田氏鉄像。

戸田氏鉄像と天守。

天守。外観復元。

戌亥櫓。

戌亥櫓。

水之手門から天守。「瓦落下の危険性があるため」水之手門は立入禁止に。

丑寅櫓。

丑寅櫓を逆側から。

東門。駅から大垣公園に向かうとこちらが入り口になる。

天守。

東門を内側から。柳口門の移築だそうだ。ちなみにこの位置に門はなかったらしい。

天守。

天守。

ちょっと引いて。

木が多い。

天守入り口から。中には入らず。

縄張り図。

松の木と天守。

鉄門跡。

本丸復元図。鉄門が唯一の入り口。

天守。

辰巳櫓は高台に。

東埋門跡。

天守。

天守。




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