坂本城 2009.06.13



所在地: 滋賀県大津市下坂本3丁目
最寄駅: 京阪石山坂本線松の馬場駅、JR湖西線比叡山坂本駅
現存遺構: 石垣の一部
区 分: 水城
城 主: 織田氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏
歴 史: 1571(元亀2)明智光秀が築城
1582(天正10)山崎の合戦後明智秀満が火を放ち自落、秀吉は丹羽長秀に再建を命じる
1586(天正14)秀吉が浅野長政に命じて大津城築城、その際に坂本城は解体


坂本城跡の碑。

説明板。「織田信長配下の明智光秀は、山門焼き討ち直後の元亀二年(一五七一)、下坂本の湖岸に大天主と小天主をもつ水城を築きました。当時来日していた宣教師ルイス・フロイスはこの坂本城をのちに築城される天下の名城安土城についで豪壮華麗な城と述べています。坂本城築城の目的には、山門の監視ばかりではなく、近江の反信長勢力、特に浅井・朝倉軍に対する前戦基地や、彦根の佐和山城とともに、信長の領国美濃と京都との往還の確保などがあげられます。この城は、天正十年(一五八二)六月の山崎の合戦ののち焼失しますが、丹羽長秀によって再建され、同十四年頃、城が大津(大津城)に移るまでこの地にありました。昭和五十四年(一九七九)に実施された発掘調査では、焼土中から城の施設の一部とみられる建物の礎石や石組の井戸・池・溝・石垣の基礎石などが検出されています。」

碑の裏側にもまた別の碑文。

坂本城跡と言われる東南寺。しかし遺構はない。城址公園(今回行かず)に石垣の一部があり、また琵琶湖が夏に渇水の時には水辺で石垣の基部が見られるという話だが・・・

旧町名・大道町の碑。

この道が坂本城の堀を埋めて作られた「大道」だったそうだ。




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