佐倉城 2003.7.5



所在地: 千葉県佐倉市城内町官有無番地
最寄駅: 京成本線京成佐倉駅、JR成田線佐倉駅
別 名: 鹿島城
現存遺構: 土塁、堀、空堀門(名称不明・移築)
区 分: 平山城
城 主: 土井氏、石川氏、松平氏、堀田氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏
歴 史: 1617(元和3) 土井利勝が千葉氏の鹿島城の跡に7年かけて築城
1633(寛永10)利勝が古河移封、石川忠総が入封
1634(寛永11)忠総が膳所移封、松平(形原)家信が入封
1642(寛永19)家信の子・康信が高槻に戻り、堀田正盛が入封
1651(慶安4)正盛が将軍・家光に殉死、子の正信が家督を継ぐ
1660(万治3)正信幕政に不満を抱き無断帰城、改易
1661(寛文元)松平(大給)乗久入封
1678(延宝6)乗久が唐津移封、大久保忠朝が唐津より入封
1686(貞享3)忠朝が小田原移封、戸田忠昌入封
1701(元禄14)忠昌の子・忠真が高田移封、高田より稲葉正往入封
1723(享保8)正往の子・正知が淀移封、松平(大給)乗邑入封
1746(延享3) 乗邑の子・乗佑移封、堀田正亮入封、以降明治まで堀田氏の居城に
1813(文化10)天守焼失、以後再建されず
1873(明治6) 廃城、陸軍第一軍管第二聯隊営所建設のため建物すべて破壊
1909(明治42)第二聯隊は水戸に移り、代わって歩兵第57聯隊が入営
1945(昭和20) 二の丸跡にあった佐倉57聯隊衛戌病院が国立佐倉療養所になる
1979(昭和54)国立佐倉療養所が移転
1982(昭和57) 城址公園として整備完了
1983(昭和58)椎木曲輪跡に国立歴史民俗博物館が開館、角馬出し復元


JR佐倉駅から歩いて約20分の大手門(追手門)跡。明治の初めまでは写真のような立派な門があったらしいが今は石碑のみ。そこから続く広小路の右側は佐倉中、左側は佐倉東高。佐倉東高は侍屋敷跡。

城址公園に入るとまず見えるのが三の門跡手前の空堀。

二ノ丸も今はこんな感じ。

二ノ丸の入口・椎木門跡。

本丸の入口・一の門跡。

本丸跡はきれいに整備された広場に。明治以前は天守、銅櫓、角櫓があったらしい。

何組か家族で遊びに来てました。

本丸周りの空堀。石垣は元からなかったらしい。

本丸から遊歩道を降りると堀がある。

堀。

堀にはトンボがたくさん。

出丸跡と堀。

出丸跡から本丸方向を眺める。こうやって何もないまま残すのもひとつの形かな。

城址公園から少し離れたところに武家屋敷が並べて移築保存されている。入館料は210円。これは旧河原家住宅。

同じく。

裏に回ってみる。

縁側。家に入ることは不可。

屋根を見上げる。

これは旧但馬家住宅。

鎧兜が飾ってある。

裏庭に回ってみる。なぜかナスが植えてあった。

城址公園も武家屋敷も案内板が多く、非常に見学しやすく整備されていた。



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