桜町陣屋 2009.08.29



所在地: 栃木県真岡市物井
最寄駅: 真岡鐵道真岡線寺内駅
現存遺構: 役所、土塁
区 分: 陣屋
城 主: 宇津氏
歴 史: 1699(元禄12)小田原藩大久保忠朝の三男・宇津教信が陣屋を構える
1823(文政6)二宮金次郎が赴任、役所を改築
1868(明治元)陣屋を廃す
1932(昭和7)国史跡に指定
1997(平成9)現存役所の解体修理開始
2000(平成12)役所解体修理完了


堀の跡?

トンボ。

桜町陣屋跡入口。小田原藩の飛地・桜町領を治めた陣屋としてではなく、あくまで二宮尊徳が働いた場所としての史跡。

トンボ。

湾曲した土塁と石碑。

虎口。

土塁。

虎口。

土塁。

現況図。

案内板。拡大。「桜町陣屋跡は、二宮尊徳(金次郎)がこの一帯の農村復興に務めた拠点です。文政6年(1823)に着任し、以来26年間の永きにわたり桜町陣屋に居住しました。陣屋の建物は、尊徳が着任したときに建設され、その後増改築を経て現在に受け継がれています。当時、陣屋内には、主屋(役所兼住居)ばかりでなく、長屋、木小屋などがありました。発掘作業をもとにその位置が示してあります。桜町陣屋は元禄12年(1699)に小田原藩大久保家の分家宇津家が、この地に陣屋を構えたことにはじまります。桜町領(物井・横田・東沼村)は、公称4000石とされる豊かな土地になりましたが、100年後には、実質1000石にも満たないほどに田畑は荒れ果て、人口も激減してしまいました。疲弊した桜町領を復興するため、二宮尊徳が抜擢されました。尊徳は、相模国栢山村(神奈川県小田原市)出身の農民ですが、小田原藩家老服部家の財政再建において、すでに実績を認められていました。尊徳は家族そろってこの地に移り住み、さまざまな苦労の末、桜町領の再興を果たしました。『桜町仕置』と呼ばれる尊徳の復興手法は、相馬藩・小田原藩などでも実践され成功を収めています。明治元年(1868)桜町陣屋は廃止され、昭和7年(1932)国の史跡に指定されました。」

虎口を内側から。

土塁。

土塁。

逆L字の土塁。

ちょっと角度を変えて。

解体修理・一部復元された役所(主屋)。

長屋(村役人詰所)跡。

木小屋跡。

現存建物(主屋)の案内板。拡大。「この建物は、二宮尊徳が桜町領復興の拠点として、居住したものです。文政6年(1823)の尊徳着任時に建設されました。建物は、数度の改築や修繕を経ています。一時期、現在の建物より西側に建物が伸びていたことも、発掘調査などから分かりました。平成9年から12年の建物解体復原工事では、これまでに地元の人々が大切にしてきた経過を尊重し、尊徳が居住した天保10年(1839)当時の姿に復原しました。この年に屋根の茅を葺き替えていますが、その記録と現在の規模が一致するためです。」

主屋。

主屋内部。上がることは不可。

主屋。

裏側から。

この土塁は復元。

水路の跡を砂利で示している。

土塁。

主屋。

主屋。




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