七戸城 2006.8.20



所在地: 青森県上北郡七戸町七戸
最寄駅: JR東北本線三沢駅
別 名: 柏葉城、七戸陣屋
現存遺構: 曲輪、土塁
区 分: 平山城
城 主: 南部氏、七戸氏
歴 史: 1335(建武2)根城南部家4代・師行の弟・政長が北畠顕家から七戸を与えられ築城(鎌倉時代にすでにあったともいう)
1350(観応元)南部家5代となった政長が八戸を孫(6代・信政はすでに戦死)の信光、七戸をその弟の政光に譲り死去
1412(応永19)政光は信光の子・長経に根城南部家9代を継がせ、自らは七戸に移って、子の政慶から七戸氏を名乗る
1591(天正19)城主・七戸家国が九戸政実の乱に加担し滅亡、城も破壊され南部藩主・信直の直轄地に
1593(天正20)信直の甥・直時が七戸城主に任ぜられる
1664(寛文4)七戸城主だった重信(利直の子)が盛岡藩を継ぎ、七戸は直轄地にとなって旧城内に代官所を置く
1819(文政2)南部36代藩主・利敬が幕府に願い出て南部信鄰に分知、盛岡新田藩立藩
1858(安政5)信鄰の子・信誉が城主格を得るが城は建てず
1858(安政5)信誉の子・信民が七戸城の改修を開始
1869(明治2)信民が戊辰戦争により隠居を命じられるが南部利恭の弟・信方に相続が認められ盛岡新田藩を七戸藩に改称、藩庁を創設
1871(明治4)廃城
1872(明治5)城跡の建物を利用して七戸小学校が開校
1941(昭和16)国史跡に指定
1970(昭和45)七戸小学校が移転、跡地を柏葉公園として整備


三沢駅からタクシーで20分(バスなら50分)、七戸城大手虎口の土塁。

新し目の標柱。

標柱の後ろに曲輪の模型。なかなか大規模。拡大

宝泉館といわれる郭に。

土塁。

武家屋敷跡。えらい狭いぞ。

宝泉館から西館に。

西館と腰曲輪の間の空堀。

西館。

西館。発掘調査途上。

史跡整備用地にはなっている。

柏葉公園入口。

水堀。

落雷で燃えたような大木。

土塁。

二の丸。

本丸土塁。

水堀。

北館。この石垣は・・・・違うだろうなあ。

水堀。

水堀。




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