島原城 2003.10.13その2
天守では登閣7万人目の式典をやっていた。39年間で7万人とは少なくないか?交通不便だからなあ。中の展示物は撮影不可だが、キリシタン資料館などは見応えあった。「マグシーバー」という特殊な装置により案内が聞けるようになっているのもよい。
最上階から見た二ノ丸。現在は島原市文化会館、森岳公民館など。天守のある本丸、北側の入口、倉庫としての二ノ丸を内堀が囲み、屋敷のある三ノ丸を外郭が囲む形だったそうだ。櫓の数は内郭に19、外郭に30の計49もあったとか。「城造りの名手」と言われた松倉重政が四万石の小藩にもかかわらずこだわって作った自分の城。しかしその無理が島原の乱を生んだとも言える。
三の丸にあった馬見小屋を本丸に移設。
再び天守。
二ノ丸側から見た天守。
二ノ丸に行く途中にある梅林の巨石。
これも。
二ノ丸。
復興記念館から見た天守。
これが記念撮影用アングル。
島原城を出て武家屋敷に。武家屋敷から見た天守。
武家屋敷・鳥田家。門の周りが石垣になってるのが特徴的か。
鳥田家UP。
鳥田家内部。
通りの真ん中には清流が流れる。昔は生活用水だったらしい。
篠塚家。
篠塚家内部。
山本家。前の2軒と比べてもかなり上級の屋敷だったようだ。
山本家。
大手門(三ノ丸から出る)跡。パトカーが停まってるのは現在交番になってるため。
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