高崎城 2003.11.16



所在地: 群馬県高崎市高松町
最寄駅: JR上越新幹線・高崎線高崎駅
別 名: 和田城
現存遺構: 乾櫓(移築)、東門(移築)、堀跡
再建建物: 土塀
区 分: 平城
城 主: 井伊氏、酒井氏、松平氏、安藤氏、間部氏
歴 史: 1598(慶長3)井伊直政が築城
1600(慶長5)直政が佐和山に転封
1604(慶長9)酒井家次入封
1616(元和2)家次高田移封、松平(戸田)康長が笠間から入封
1617(元和3)康長松本移封、松平(藤井)信吉入封
1619(元和5)信吉丹波篠山移封、安藤重信入封
1695(元禄8)安藤家3代・重博は備中松山に移封、松平(大河内)輝貞が村上より入封
1710(宝永7)輝貞が村上に戻り間部詮房入封
1717(享保2)詮房村上移封、輝貞が再び高崎入封、以降明治まで松平(大河内長沢)家が城主
1871(明治4)廃城
1873(明治6)陸軍東京鎮台高崎分営となり、建物は破却、堀は埋め立て
1884(明治17)歩兵第15聯隊の基地に
1980(昭和55)払い下げられていた乾櫓と東門の寄付を受け移築復元


JR高崎駅から10分ほど歩くと「お堀端通り」に。三の丸の堀の跡らしい。

堀の横には土塁が残されている。この辺りは「城址公園」になっている。

現存遺構の乾櫓と東門。

この図の赤丸が乾櫓が建っている場所。つまり「城址公園」といっても旧三の丸のごく一部。二の丸には群馬音楽センターが建ち、天守代わりの御三階櫓があった本丸は市役所、日本たばこなどになっていて、全く城跡を残していない。明治期に陸軍基地になった時点でほとんどが壊されてたわけだが。

東門。1843(天保14)年頃再建されたものらしい。明治期に払い下げられたものを移築復元。もとあった場所は同じ三の丸の堀端でももうちょっと南。

乾櫓。本丸の四隅に艮・巽・坤・乾とあった櫓の一つ。1695(元禄8)年頃築と言われる。これも民間に払い下げられ納屋として使われていたものが寄贈を受けここに移築復元。

別角度から。

堀端通りから。

縦で。石垣は元はなかったもので、移築の際に面積を取らないよう作られたものらしい。

矢狭間のついた壁は架空のもの?

土塁に上って。立ち入りは禁止。

鯱は「こういうのがあったんじゃないか」という推測に基づくものらしい。

乾櫓の隣に城跡を示す碑と石垣。でもこの石垣も史実に基づくものじゃないんだろうなあ。

城跡っぽく見えるが現存のものでないとしたらコンセプトが不明だ。

飛龍松。有名らしい。

上に上って。




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