高遠城 2008.4.13



所在地: 長野県伊那市高遠町東高遠
最寄駅: JR中央本線茅野駅またはJR飯田線伊那市駅からバス
別 名: 兜山城
現存遺構: 伝大手門、土塁、曲輪、空堀
再建建物: 太鼓櫓
区 分: 山城
城 主: 木曽氏、高遠氏、武田氏、毛利氏、保科氏、岩崎氏、鳥居氏、内藤氏
歴 史: 1338〜41
(暦応年間)
木曽義親が築城?
1545(天文14)武田信玄が高遠頼継を攻め高遠城攻略
1547(天文16)信玄が山本勘助、秋山信友に命じて大改修
1562(永禄5)諏訪(武田)勝頼が城主に
1570(元亀元)勝頼が躑躅ヶ崎に入り、信廉が城主に
1581(天正9)信玄の五男・仁科盛信が城主に
1582(天正10)織田信忠が盛信を滅ぼし高遠城落城、その後毛利秀頼が城主に
1582(天正10)本能寺の変に乗じて木曽義昌が城を占領するが保科正直が城を奪回
1590(天正18)家康関東入りに従い正直の子・正光が下総多胡に移封、毛利秀頼の家臣・岩崎左門が城代に
1601(慶長6)保科正光が入城、高遠藩立藩
1636(寛永13)正光の養子(徳川秀忠の子)正之が山形転封、鳥居忠春入封
1691(元禄4)忠春の子・忠則が改易され内藤清枚が入封、以後内藤氏が明治まで城主
1872(明治5)廃城、建物はすべて解体撤去
1875(明治8)高遠城址公園として整備
1902(明治45)太鼓櫓再建
1948(昭和23)問屋門を高遠本町から移築
1973(昭和48)国史跡に指定


3年ぶり2回目の高遠城。勘助曲輪側の西ゲートから本丸に上がる。太鼓櫓。1902(明治45)年の再建。

桜。満開とまでは行かないがなかなかの咲きっぷり。なおソメイヨシノではなくコヒガンザクラ。ピンクが強い。

本丸から二の丸に渡る桜雲橋の前にある問屋門。城門の遺構ではなく城下町の門を移築したもの。観光客が多い時はここがボトルネックになる。

本丸と二の丸の間にある空堀と桜。

空堀と桜。

桜UP。

桜に覆われた桜雲橋。

空堀と桜。

二の丸。

二の丸から法憧院曲輪に。

桜UP。

桜。

法憧院曲輪の土塁と桜。

桜。

桜。

信州高遠美術館の敷地内にある謎の三層天守。あまりに考証のなってない模擬天守だ。

桜。

法憧院曲輪から南曲輪に。空堀。

南曲輪から見下ろす。




その2へ。