田中城 2004.9.25



所在地: 静岡県藤枝市田中3丁目(下屋敷跡)
最寄駅: JR東海道本線西焼津駅
別 名: 亀甲城、亀城
現存遺構: 本丸櫓、堀、土塁、石垣
区 分: 平城
城 主: 武田氏(山県氏)、酒井氏、松平氏、北条氏、西尾氏、土屋氏、内藤氏、太田氏、土岐氏、本多氏
歴 史: 1537(天文6)今川義元が徳之一色城築城
1570(永禄13)武田氏により落城、馬場信春が改修して田中城築城
1582(天正10)徳川家康に攻められ落城、戦後中村一忠が入城
1601(慶長6)一忠米子移封、酒井忠利が入封し田中藩立藩
1609(慶長14)忠利が河越移封、駿府藩徳川頼宣の支配下に
1633(寛永10)松平(桜井)忠重が佐貫から転封
1635(寛永12)忠重掛川移封、水野忠善入封
1642(寛永19)忠善三河吉田移封、松平(藤井)忠晴入封
1644(寛永21)忠晴掛川移封、北条氏重入封
1648(正保5)氏重掛川移封
1649(慶安2)西尾忠昭入封
1679(延宝7)忠昭の子・忠成が小諸移封、酒井忠能入封
1681(天和元)忠能改易
1682(天和2)土屋政直入封
1684(貞享元)政直大坂城代に転出、太田資直入封
1705(宝永2)資直の子・資晴が棚倉に移封、内藤弌信入封
1712(正徳2)弌信大坂城代に転出、土岐頼殷入封
1731(享保16)頼殷の子・頼稔大坂城代に転出
1731(享保16)本多正矩が入封、以降明治まで本多氏が城主
1868(明治元)廃城、徳川家達領となり最後の藩主本多正納は安房長尾藩に移封
1995(平成7)下屋敷跡復元、本丸櫓など移築


下屋敷跡。

下屋敷跡に移築されている長楽寺村郷蔵。田中城の遺構というわけではない。

本丸櫓。本丸の南隅にあったらしい。1870(明治3)年に村山家に払い下げられ移築していたものを下屋敷跡に再移築。一応現存ということになるが石垣はイマイチだな。

三日月堀の跡。塀は西益津小学校のもの。本丸跡はすべて小学校になっている。

これだけ書いてあってもなあ。

二之堀に架かる木橋(復元?)。

二之堀。

住宅地に残る土塁。何も知らなきゃ「造成途中」にしか見えない。同心円状の縄張りも道に残っているが、言われなきゃ「なんでこんなグネグネ?」と思うだけだろうなあ。

西益津中脇に残る三之堀。

その向かいには石垣跡。

これも。




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