館林城 2006.10.15



所在地: 群馬県館林市城町
最寄駅: 東武伊勢崎線館林駅
別 名: 尾曳城
現存遺構: 土塁
再建建物: 土橋門、土塀
区 分: 平城
城 主: 赤井氏、長尾氏、南条氏、榊原氏、松平氏、徳川氏、太田氏、井上氏、秋元氏
歴 史: 1532(天文元)赤井照光が築城
1562(永禄5)上杉謙信が赤井氏から接収、長尾景長に与える
1584(天正12)北条氏が長尾氏を調略して城を奪取、氏規が城主となり南条因幡守昌治を城代に置く
1590(天正18)石田三成軍に攻められ開城、徳川家康の関東入りに際し榊原康政が入城
1643(寛永20)榊原氏3代忠次が白河移封、館林は天領に
1644(寛永21)松平(大給)乗寿入封、館林藩再興
1661(寛文元)乗寿の子・乗久は佐倉移封、徳川綱吉が入城して城を修築
1680(延宝8)綱吉が第5代将軍となり、3歳の嗣子・徳松が後を継ぐ
1683(天和3)徳松が5歳で夭折し館林藩は廃藩、天領となり城も破却
1707(宝永4)徳川綱重の次男・松平(越智)清武入封、館林藩再興・城を再建
1728(享保13)松平家3代武元が棚倉移封、太田資晴が入封
1734(享保19)資晴が大坂城代となったため館林藩廃藩
1740(元文5)資晴の子・資俊が入封、館林藩再興
1746(延享3)資俊が掛川移封、松平武元が再び入封
1836(天保7)松平家3代斉厚が浜田移封、井上正春入封
1845(弘化2)正春浜松移封、秋元志朝入封し以後明治まで秋元氏が城主
1864(文久4)新御殿造営
1874(明治7)廃城、大火によりほとんどの建物焼失
1983(昭和58)土橋門、土塀を復元


東武伊勢崎線館林駅からまっすぐ1.5km、三の丸の土塁前に立てられた標柱がまず目に入る。

三の丸土塁。

三の丸から二の丸にかけては文化施設がてんこ盛り。

三の丸跡広場。

1983(昭和58)年に復元された三の丸土橋門。

外から。

三の丸土塁。

復元塀。

土橋門を入っても中が見えないように作られた蔀(しとみ)土塁。

謎の模擬石垣。

井戸跡?

この本丸土塁を保護する目的なのだろうか?>石垣

八幡郭跡にある八幡社。

復元された本丸溝状遺構。

本丸土塁。

本丸土塁。

八幡郭土塁。

つつじが岡会館。御殿っぽいが?

尾曳橋から城沼(じょうぬま)。地図で見ると縦長の感じだったが広い広い。これでも水位が下がったという。「つつじが岡公園」はツツジの名所らしいし、菖蒲池もあるし、5〜6月に来るのがいいんだろうなあ。




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