月山富田城 2007.9.1



所在地: 島根県安来市広瀬町富田(とだ)
最寄駅: JR山陰本線安来駅
現存遺構: 曲輪、石垣
再建建物: 花の壇主屋、侍所
区 分: 山城
城 主: 尼子氏、塩治氏、福原氏、口羽氏、天野氏、毛利氏、吉川氏、堀尾氏
歴 史: 1185(文治元)頃佐々木義清が築城?
1395(応永2)出雲国守護代の尼子持久が入城
1484(文明16)持久の孫・経久が出雲守護の京極政経により追放される
1486(文明18)経久が富田城奪回
1541(天文10)第一次月山富田城の戦い、経久の孫・晴久が大内・毛利連合軍を撃退
1566(永禄9)第二次月山富田城の戦い、晴久の子・義久が毛利元就に敗れ落城、毛利領となり福原貞俊、口羽通良らが城代に
1567(永禄10)天野隆重が城代に
1569(永禄12)毛利元秋(元就五男)が城督として入城
1585(天正13)元秋没し、毛利元康(元就八男)が城督に
1591(天正19)吉川広家が入封、元康は神辺城に移る
1600(慶長5)広家が岩国転封、堀尾吉晴が入封
1611(慶長16)吉晴及び家督を継いだ孫の忠晴が松江城に移り富田城は廃城
1934(昭和9)国史跡に指定


安来駅からイエローバス米子−広瀬線に乗るのがよい、ということだが、2時間に一本しかないのに乗り遅れたため安来駅からタクシーで。3000円弱で大手門下まで。ちなみに「月山富田城まで」と告げると「広瀬の富田城ね」と確認された。地元の人は「月山」は付けないらしい。

大手門跡の標柱。

大手門脇の石垣。

大手門石垣。

山中御殿平に。富田城跡の案内板。

山中御殿平の復元石垣。

山中御殿平。

石垣。

菅谷口からの入り口、菅谷虎門の石垣。

石垣と井戸。

石垣。

ちょっと上ったところから山中御殿平を見下ろす。

七曲の途中の山吹井戸。

三の丸到達。

二の丸には上らず、まずは右手に回って本丸を目指す。途中の石垣。

石垣。

石垣。

石垣。




その2へ。