富岡城 2006.11.4



所在地: 熊本県苓北町富岡字本丸
別 名: 臥龍城
現存遺構: 石垣、曲輪
再建建物: 本丸櫓群
区 分: 平山城
城 主: 寺沢氏(三宅氏)、山崎氏、戸田氏
歴 史: 1600(慶長5)関ヶ原の合戦後、小西行長の肥後の所領を没収
1602(慶長7)天草が唐津城主・寺沢広高の領地となり富岡城築城
1637(寛永14)天草・島原の乱勃発、城代の三宅重利討ち死に
1638(寛永15)乱終結、寺沢堅高は改易。天草は山崎家治の領土に
1641(寛永18)家冶が丸亀に転封、天草は天領になり鈴木重成が代官として赴任
1653(承応元)重成が石高の半減を訴えて江戸で切腹
1659(万治元)第三代の代官・鈴木重辰が石高の半減を幕府に認めさせる
1664(寛文4)天草が戸田忠昌に与えられる
1670(寛文10)忠昌は負担解消のため本丸と二の丸を破却、城は廃城とし再び天領化するよう建議
1671(寛文11)建議通り天草藩廃藩、再び天領となり三の丸に代官所が置かれる
1865(慶応元)陣屋が本戸(本渡)に移転する
2005(平成17)本丸に富岡ビジターセンターを開設


去年(2005年)本丸の櫓が再建されたというので富岡城に。熊本交通センターから快速バス「あまくさ号」で2時間、本渡バスセンターでマイクロバスみたいな富岡港行きに乗り換えてさらに1時間以上、終点富岡港のひとつ前の「一丁目」のバス停近くに富岡城への入り口がある。今回熊本から来たけど、長崎から船で来たほうが明らかに近い。麓の案内図。

袋池に浮かぶ島の上に城があるように見える。

縦で。

百間塘(土手)の端の石垣。

近くから見上げる。

再び縦で。

袋池。かなり広い。

鈴木重成像。天草・島原の乱の後に代官として赴任して復興に尽力し、天草の窮状を幕府に訴えて、聞き入れられないと江戸の自邸で切腹したという。

こちらは古い案内板。

三の丸跡?石垣。

標柱。

10分足らずで本丸の復元建造物に到着。正式名称は「富岡ビジターセンター」。一応木造再建なのだな。

肥前甘艸富岡城図。しかし他の展示物は「海中世界への誘い」「海辺世界への誘い」「海のディスカバリー」など城や歴史に関係ないものが多数。なので一瞬で見終わる。

ビジターセンターから外へ。

復元高麗門。

いい景色。

ビジターセンター入り口。

ビジターセンターは一応櫓の外観復元。

向こうは天草本島。

ビジターセンターはL字型になっている。

本丸から二の丸へ。

二の丸復元石垣。

石垣。

この辺の入り組んだ石垣は、

何度も増築されたり破却されたりした跡を覆うように造られているらしい。そのまま見せるのは無理だったのかなあ?




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