所在地: |
鳥取県鳥取市東町 |
最寄駅: |
JR山陰本線鳥取駅 |
別 名: |
久松城、久松山城 |
現存遺構: |
石垣、堀 |
再建建物: |
中仕切門 |
区 分: |
山城 |
城 主: |
山名氏、宮部氏、池田氏 |
歴 史: |
1545(天文14) | 山名誠通が築城 |
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1575(天正3) | 山名豊国が城主に |
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1580(天正8) | 秀吉の第一次鳥取攻め、豊国降伏 |
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1581(天正9) | 秀吉の第二次鳥取攻め、兵糧攻めにより吉川経家降伏・自害 |
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1585(天正13) | 城代として入っていた宮部継潤が城主に昇格 |
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1600(慶長5) | 継潤の子・長房は関ヶ原の戦いで西軍に与し、家康の命で鹿野城主・亀井茲矩らが落城させる |
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1601(慶長6) | 池田長吉が関ヶ原の戦いの功により加増入封、城を大修築 |
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1617(元和3) | 長吉の子・長幸は備中松山に加増移封、宗家の池田光政が幼少を理由に姫路より入封 |
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1632(寛永9) | 岡山藩の池田光仲(光政の従弟)が幼少を理由に鳥取転封、光政が岡山に |
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1692(元禄5) | 天守が落雷により焼失、以後再建されず |
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1720(享保5) | 石黒火事、大半の建物が焼失 |
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1844(天保15) | 二之丸御殿再建 |
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1849(嘉永2) | 右膳の丸拡張 |
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1877(明治10) | 廃城、建物破却 |
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1957(昭和32) | 国史跡に指定 |
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2000(平成12) | 鳥取西部地震により石垣損壊 |