豊岡城/豊岡陣屋 2008.3.20



所在地: 兵庫県豊岡市京町
最寄駅: JR山陰本線豊岡駅
別 名: 亀城、木崎城、城崎城
現存遺構: 曲輪(陣屋の遺構はなし)
区 分: 平山城/陣屋
城 主: 垣屋氏、宮部氏、木下氏、尾藤氏、明石氏、福原氏、杉原氏、京極氏
歴 史: 15世紀山名持豊が神武山に木崎城を築城、垣屋氏が城主に
1580(天正8)羽柴秀吉の但馬征伐で山名氏滅亡、宮部継潤が入り木崎を豊岡と改め豊岡城築城
1582(天正10)継潤が鳥取城代となり木下重堅が城主に、その後尾藤知定・明石則実・福原直高と城主が変わる
1598(慶長3)杉原長房が杵築より入封
1600(慶長5)関ヶ原の合戦で西軍に属するも義兄・浅野長政の取成しで本領安堵
1653(承応2)杉原氏3代・重玄が無嗣のため廃絶、豊岡は天領となり豊岡城は廃城
1668(寛文8)京極高盛が丹後田辺より転封、以降明治まで京極氏が城主、無城大名のため山麓に陣屋を築く
1871(明治4)廃藩置県で豊岡県となり、陣屋跡が県庁として使用された


豊岡駅から約800m、標高48mの神武山が豊岡城跡。

現在は神武山公園。名前の由来は 1872(治5年)に神武天皇陵の遥拝所が作られたことによるらしい。

上まで登ると段になっているが遺構かどうかは不明。

さらに登ると上水道の配水所。

ここは笠の丸跡とのこと。

どれくらい元の地形が残ってるんだろうなあ?

本丸跡を見上げる。

本丸跡は東に長く伸びている。

天守台跡。

天守台跡に説明板。

説明板の縄張図。

本丸跡の標柱。

本丸跡。中央の石碑は城関係ではなくて歌碑。

本丸から萩の丸。出丸というにはちょっと狭い。改変されたのだろうなあ。

歩道(腰曲輪?)から本丸土塁。

本丸の端。

本丸土塁。こちら側には竪堀が残っていると説明板には書いてあったがよくわからず。

本丸下にさらに曲輪。名称不明。

これも上水道施設。曲輪かどうかは不明。

麓の豊岡陣屋跡(市立図書館)にある豊岡県庁門。1870(明治3)年に久美浜県の県庁門として作られたもので陣屋の遺構ではない。

豊岡県庁門。

豊岡陣屋跡の説明板。

1996(平成8)年の図書館建設時に遺構が発掘されたようだが全部埋め戻された様子。




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