浦添城 2006.11.19



所在地: 沖縄県浦添市仲間2丁目
現存遺構: 石垣、曲輪
区 分: グスク
城 主: 英祖王統、察度王統、尚氏
歴 史: 13世紀 英祖王統により浦添グスクが築城(伝承では天孫氏が12世紀に築城)
14世紀末察度王統により城域が広がる
1406(応永13)察度王統が尚巴志に滅ぼされる。王宮は浦添から首里に移転、浦添は荒廃
1524(大永4)尚真王の長男・尚維衡が浦添城を整備して移住
1589(天正17)浦添家4代の尚寧が琉球国王になる
1597(慶長2)浦添城から首里までの道を整備する
1609(慶長14)薩摩軍の侵攻により焼失
1620(元和6)尚寧王が浦添ようどれを改修
1945(昭和20)沖縄戦で激戦地となり浦添城、浦添ようどれともに破壊
1955(昭和30)琉球政府がようどれの墓室を修復
1972(昭和47)沖縄県本土復帰
1989(平成元)国史跡指定
2006(平成18)浦添ようどれを復元


案内図。拡大

案内板。

ここもか。ここは特にこの看板が多かった。そんなに出るんだったら「浦添グスク観光は長靴持参で」くらい言った方が親切ではなかろうか?

現存石垣。

ちょっとUP。

こちらも残存(基部のみ)城壁。

ディーグガマ。

これは復元石垣かな?

トゥン。「殿」という字が当てられる。主殿部分。

日本の城なら「腰曲輪!」と言いたいとこだがそうではないんだろうなあ。

上から復元されたようどれを見下ろす。

ようどれの案内図。

ようどれ入口。

こっちの石垣のほうが気になるなあ。ようどれの下は現在も整備工事中。

暗しん御門(クラシンウジョウ)。往時は自然石によってトンネルになっていたらしいが、沖縄戦の際に吹き飛んだそうである。

二番庭から一番庭に。

内側から。

西室。英祖の王陵といわれる。

東室。尚寧の王陵といわれる。

一番庭の奥。

復元された石垣。

浦添グスク・ようどれ館にあった発掘調査開始時の写真。




沖縄の一覧へ