| 所在地: | 富山県富山市婦中町安田 | |
| 最寄駅: | JR高山本線婦中鵜坂駅 | |
| 別 名: | 安田塁 | |
| 現存遺構: | 土塁、堀 | |
| 区 分: | 平城 | |
| 城 主: | 前田氏、岡嶋氏、平野氏 | |
| 歴 史: | 1585(天正13) | 秀吉の越中攻めの前線として築城、岡嶋一吉が城主として入る |
| 1597(慶長2) | 一吉が再び入城 | |
| 1599(慶長4) | 一吉が利長に従い金沢へ、平野三郎右衛門が代官として入る | |
| 慶長年間? | 廃城 | |
| 1977(昭和52) | 圃場整備事業で破壊の危険性が出たため発掘調査開始 | |
| 1981(昭和56) | 国史跡に指定 | |
| 1994(平成6) | 整備事業完成、開放 | |
高山本線の婦中鵜坂駅から井田川を越えてしばし歩くと堀と土塁が広がる。
立派な「安田城跡」の看板。
二の丸へ。
土橋左側の堀。
右側の堀。
二の丸土塁。
スイレンUP。
二の丸土塁。
二の丸土塁。
二の丸虎口。
二の丸から右郭に。本丸から見て右。あくまで現代の便宜上の呼び名で、当時何と呼ばれていたかはわかっていないが旧地名は「カネツキドウ」だったそうだ。
二の丸から右の郭。
右郭から本丸、二の丸。旧地名は本丸が「オオシロ」、二の丸が「コシロ」。これは当時の呼び名とは違ってそうだな。
右郭にある復元図。
本丸。
二の丸から本丸へ。
本丸土塁と堀。
本丸。
本丸土塁。この形でずっと残っていたわけではなく、発掘調査の結果この高さの土塁が確認され、整備されたもの。堀も整備事業の際に復元され水が入れられた。
本丸虎口。
本丸土塁。
本丸。
本丸土塁から堀。
本丸土塁の角。往時はその向こうは井田川に面していたらしい。
本丸。
本丸土塁と堀。この堀はもとは井田川。
本丸土塁と堀。
本丸。ワイコン持って行かなかったので全景は撮れず。
本丸土塁から二の丸。
本丸から右郭。
紅いスイレン。
説明板。「この城は、呉羽山丘陵東南麓、井田川左岸の扇状地に立地する戦国時代の平城です。堀を含めた規模は東西約一五〇m、南北約二四〇mです。天正一三(一五八五)年、全国統一をめざす豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城として築かれました。前田家武将の岡嶋一吉が居城後、代官の平野三郎右衛門が居城しましたが、後に廃城になりました。本丸、二の丸、右郭の郭の回りに、井田川から水を引き入れた堀がめぐらされていました。本丸と二の丸には高さ約二・四mに復元される土塁が存在しました。このような城の構造は、江戸時代文化年間に富山藩士安達淳直・直章による『安田古城之図』と一致します。安田城跡のように保存状態が良く全体像が分かる平城は、全国的に少なく貴重な事例です。出土品の約九割はかわらけで占められ、油を燃やして明りをとる灯明皿として用いられたものが多くあります。また瀬戸美濃の天目茶碗や中国製の染付皿、越中瀬戸の皿、すり鉢などの陶磁器のほか、短刀、鉄釘、銅銭、砥石、坩堝(金属を溶かす容器)、鉄滓などが出土しました。」
併設された資料館へ。発掘調査前の地図。