米沢城 2005.9.11



所在地: 山形県米沢市丸の内1丁目
最寄駅: JR山形新幹線・奥羽本線米沢駅
別 名: 松ヶ崎城、松岬城、舞鶴城
現存遺構: 曲輪、堀
区 分: 平城
城 主: 長井氏、伊達氏、蒲生氏、直江氏、上杉氏
歴 史: 1238(嘉禎4)長井時広入部とともに松岬城築城
1380(康暦2)伊達宗遠(伊達氏8代)が長井氏を滅ぼし置賜を領する
1548(天文17)伊達晴宗(伊達氏15代)が桑折西山から米沢に本拠を移す
1590(天正18)奥州仕置により伊達政宗(伊達氏17代)が岩出山に移封
1591(天正19)置賜は蒲生氏郷の領となり、蒲生郷安が城代として入城
1597(慶長2)氏郷の子・秀行が宇都宮転封、上杉景勝が越後より会津に移封、米沢には直江兼続が入城
1601(慶長6)上杉氏福島・置賜30万石に減封、景勝が米沢に移る
1608(慶長13)景勝が兼続に命じて城を大改修
1664(寛文4)第3代・綱勝が急死、末期養子で吉良家嫡男・三郎(後の綱憲、当時1歳)を第4代藩主とするが、石高は15万石に
1702(元禄15)赤穂浪士討入り事件(綱憲の父・吉良義央殺害)
1873(明治6)廃城令により廃城、建物取り壊し
1876(明治9)上杉神社の神殿完成


タクシーで「上杉神社まで」と頼むと米沢城史苑という新しげな観光施設の前で降ろされた。時間が合えば米沢駅からは市内循環バス(右回り)が便利。1時間に一本しかないのがネック。参道に入るところに上杉鷹山の銅像。

こちらは二の丸世子御殿跡に建てられている松岬神社。ここに祀られているのは上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、鷹山の師・細井平洲、鷹山の家老・竹俣当綱、同家臣・莅戸(のぞきど)善政の6名。鷹山は以前は上杉神社に合祀されていたそうだが後に松岬神社を建立して分祀。

上杉神社参道。

本丸に入る。内堀。

もともと上杉謙信の祀堂(仏式)があった跡。謙信の遺骸は1613(慶長18)年に春日山から米沢に移された。現在祀堂は米沢市内の長命寺に移築され現存。

ここにも鷹山の像。

上杉神社鳥居。祀ってあるのは上杉謙信。

神殿。1923(大正12)年再建。

赤穂浪士受難の碑。普通見られるような赤穂浪士を讃えるものではなく、赤穂浪士の討ち入りによって上杉家は大変な迷惑を蒙った(当時の藩主は吉良上野介義央の息子)という恨みの文言が彫ってある。

ハス花盛り。

このへんの土塁は遺構なんだろうか?

北面の堀。

この石垣はどうだろう?

宝物殿である稽照殿。1923(大正12)年創建。これ自体が有形文化財。

南側の入り口・菱門橋。昔は菱門という門があったのだろうか?

菱門橋。

本丸のカド。

これは謙信の像。

本丸北東隅にある鷹山顕彰の碑。鷹山奉り過ぎ。それはいいとして、ここには昔三階櫓があったらしい。ちなみに米沢城には天守は築かれなかった。

米沢工業高校跡地に建てられた上杉博物館。築造の際に障子堀の跡などが見つかったらしいが、今はまたこの建物の下。こんなハコ作るより、その予算で建物でも壁でも復元したほうがいいんじゃないか?(つーのは城ヲタのたわごとか)




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