吉田城 2006.7.8



所在地: 愛知県豊橋市今橋町
最寄駅: 豊橋鉄道東田本線市役所前停留所
別 名: 今橋城、豊橋城、吉祥郭、峯野城、歯雑(おかさわ)城
現存遺構: 曲輪、石垣、土塁、堀跡
再建建物: 鉄櫓
区 分: 平城
城 主: 牧野氏、戸田氏、松平氏、小原氏、酒井氏、池田氏、水野氏、小笠原氏、久世氏
歴 史: 1505(永正2)牧野古白(成時)が今橋城を築城
1506(永正3)今川氏親と戸田氏に攻められ古白が討ち死に、戸田宣成の居城に
1522(大永2)古白の子・信成が今橋城を奪回、吉田城に改名
1529(享禄2)松平清康が攻め落とし信成討ち死に
1535(天文4)清康没し松平氏撤退、牧野成敏(信成の弟だが松平家臣だった)が城主に
1536(天文5)戸田宣成が成敏を追い出して城主に
1546(天文15)今川義元が宣成を攻めて吉田城制圧、小原鎮実を城代に
1565(永禄8)松平家康が吉田城攻略、攻城戦に功のあった酒井忠次が城主に
1590(天正18)家康関東入部に伴い忠の子・家次が下総臼井に移封、池田輝政が入封し城を大改築
1600(慶長5)輝政が姫路転封のため城郭整備は未完に終わる
1601(慶長6)松平(竹谷)家清入封
1612(慶長17)竹谷松平氏無嗣断絶に伴い松平(深溝)忠利が入封
1632(寛永9)忠利の子・忠房が刈谷に転封、代わって水野忠清が入封
1642(寛永19)忠清が松本に転封、代わって水野忠善が入封
1645(正保2)忠善岡崎に転封、代わって小笠原忠知が入封
1697(元禄10)小笠原長重が岩槻転封、代わって久世重之入封
1705(宝永2)重之が関宿転封、牧野成春入封
1707(宝永4)宝永の大地震で本丸御殿倒壊
1712(正徳2)成春の子・成央が幼少のため延岡に転封、吉田には松平(長沢)信祝が入る
1729(享保14)浜松の松平(本庄)資訓と所領入れ替え
1749(寛延2)信祝の子・松平信復が資訓に代わって入封、以降明治まで長沢松平氏の居城
1868(明治元)三河吉田から豊橋に改名
1871(明治4)廃城、兵部省管轄となり名古屋鎮台豊橋分営が置かれる
1873(明治6)失火で建物焼失
1875(明治8)陸軍第18聯隊が置かれる
1954(昭和29)鉄櫓(形は入道櫓)再建


三の丸口門跡。

石垣の裏は土塁。この土塁が公園を囲む。

案内図。拡大

着到櫓跡。

するとこの辺りから二の丸?

本丸に。

冠木門跡。

堀跡。

右側。



古絵図。拡大

千貫櫓跡石垣。

南御多門跡。

右側。

石垣。

石垣の刻印にペンキ?が。

わかりやすいように描いたのか、誰かのいたずらなのか。

復興鉄櫓。デザインは入道櫓らしい。

縦で。

辰巳櫓跡から堀を見下ろす。

裏御門から一旦二の丸に出る。本丸土塁。下の方の腰巻石垣は遺構だろうか?

古絵図。

上の現在地は金柑丸跡。

金柑丸と二の丸の間の堀。さすがにかなり埋まっている。

二の丸土塁。

この辺は二の丸と三の丸の間の堀跡のはず。




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